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ソウル特別市とその周辺
@日韓の歴史

金浦空港の朝焼け 2007年3月
 
青山貞一 2007年9月30日  無断転載禁



1 ソウル特別市とその周辺(1)日韓の歴史
2 ソウル特別市とその周辺(2)景福宮
3 ソウル特別市とその周辺(3)朝鮮民族美術館・青瓦台
4 ソウル特別市とその周辺(4)世界遺産
5 ソウル特別市とその周辺(5)清渓川再生事業
6 ソウル特別市とその周辺(6)NPO・NGO


 環境行政改革フォーラムの韓国ソウル視察・交流の訪問先案を以下に掲げます。

■西大門刑務所跡

日本人として一度見ておくべき場所だろう。日本が韓国を植民地支配していたとき、独立運動などをしていた人々を治安防止法を根拠に逮捕し、この種の刑務所に投獄し、まともな裁判をすることなく、刑務所内にある絞首刑場で処刑した。また各種拷問場面の人形などもある。説明の表記はハングル、英語が中心で日本語は少ないが大部分は展示物の内容からして分かる。日本の帝国主義が朝鮮半島で何をしたかを具体的、如実に示す場所。ソウル中心部から徒歩でも行けるが、地下鉄なら楽。

西大門刑務所は、日本の韓国植民地支配に対抗し、また3.1、抗日独立運動を行った韓国のひとびとを、日本の治安維持法容疑などとして逮捕、監禁するために監獄として使われた場所である。説明文によれば、一度この刑務所に拘置されると生きて出て来ることはできないと言われた場所であり、多くの韓国人が日本の公安警察などに残酷な拷問を行われ、厳しい監獄生活を送り、あげくの果てはまともな司法手続きを経ずに刑務所内の処刑場で命を落としたとされている。

歴史的には1908年、京城監獄という名で建てられたのが最初である。1912年には「西大門監獄と名称が改称された。さらに1923年には現在と同じ、西大門刑務所という名称になった。

戦後、西大門独立公園が1992年8月15日の第47回光復節記念行事で公開され、1995年に西大門刑務所の歴史、拘禁室、拷問室、地下監獄、ハンセン病隔離監獄、死刑場などを歴史館として公開した。

行き方:
ソウル地下鉄3号線の「独立門」(トンニンムン)駅真ん前、西大門公園内にある西大門刑務所歴史館である。

以下も参照のこと。
青山貞一:日韓<近代>歴史探訪〜西大門刑務所歴史館〜 

青山貞一:世界の環境ギャラリー(韓国・ソウル特別市 西大門刑務所歴史館)


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
上の図は、もともとの施設を示している。現在残っているのは、1/5程度か。


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix



2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix



2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
刑務所内の処刑場の入り口


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
敷地内にある慰霊碑。


■ソウル市歴史博物館

 ソウル市役所近くにあるソウル歴史博物館は、ソウルの歴史や伝統文化を紹介する歴史博物館。先史時代から現代に至るまでのソウルの歴史や市民から寄贈されたさまざまな朝鮮時代の文化財が展示されている。ソウルの文化を体験しながらこの街についての理解と知識を高めることができまる。

 2002年5月にリニューアルオープンされた。常設展示室や企画展示室、寄贈遺物展示室などで、朝鮮時代の首都だったソウルの姿や現在のソウルの人々の生活・文化などを見ることができる。

行き方:
ソウル特別市役所から徒歩数分のところにある。


ソウル市歴史博物館の正面玄関 モダンな建築物となっている。
2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
この搭が歴史博物館を探す上でのランドマーク

 以下の3枚の写真は、真中が日本が韓国を植民地統治したころのソウルの都市図、上はそれ以前、下は現在の都市図である。写真中、上方、右手にあるのは景福宮であるが、注目すべきは、真中の都市図である。植民地支配した日本の総豆府が景福宮の前面にあることが分かる。


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
日本が韓国を植民地統治以前のソウルの都市図


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
日本が韓国を植民地統治したころのソウルの都市図。下の写真を参照のこと。


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix


かつて日本帝国主義が韓国を植民地支配していたとき、この昌徳宮の正面に総督府を
建設し統治していた。上の写真は当時のもの。



2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
現在のソウルの都市図。高層ビルが林立している模様が分かる。
再生された清渓川は、上の都市図の中心部から高層ビルから右に向かう広い通りの真中を流れている。


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
景福宮とソウル議会,市役所を結ぶ広い通りに置かれた像。


■安重根義士記念館

記念館:韓国の独立運動家の中の一人である安重根(アン・ジュングン・1879〜1910)義士の精神を讃えるためにたてられた記念館。ここには安重根義士が監獄で直接書いた文章や遺品の数々が展示、保管されている。記念館の中に入ると安重根義士の額縁および関係写真、勲章や獄中自叙伝、遺言、書簡、文献などがあふれている。記念館には当時の雰囲気を直接肌で感じることができる。

安重根アン・ジュングン:
1879年9月2日 - 1910年3月26日)は朝鮮の民族主義運動家。両班の家庭に生まれた。伊藤博文の暗殺者として有名。キリスト教徒であり、洗礼名はトマス。日本語読みは「あん じゅうこん」。1905年以降、大韓帝国に於ける日本の影響力が増したことに憤激し、抗日義兵闘争を組織。亡命を繰り返す。1909年10月26日、哈爾浜駅の構内にて、韓国統監府初代統監(暗殺当時枢密院議長)伊藤博文を暗殺した。伊藤は満州・朝鮮問題についてロシア蔵相ココフツォフと会談するためハルビンに赴いていた。旅順の関東都督府地方院で死刑判決を受け、旅順刑務所で絞首刑に処せられた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

住所 : ソウル市 中区(チュング) 会賢洞1街(フェフョンドンイルガ)
電話番号 : 02-753-5033
開園/館時間 : 9:00〜18:00(3〜10月)/9:00〜17:00(11〜2月)
休日 : 年中無休
ホームページ :www.patriot.or.kr/



2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix


2007年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix



■独立記念館

...ソウル特別市を含む京畿道の隣道まで電車で行き、バスを乗り継ぐ。時間かかるので×でしょう。西大門に比べると、インパクトは少ない。三一運動など独立の歴史を学ぶには格好の場所。

詳細は以下のブログを参照のこと。
青山貞一:日韓<近代>歴史探訪〜韓国・独立記念館〜


2006年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix


2007年6月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix



2006年3月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix


世界史的場所

■韓国と北朝鮮の非武装地帯(DMZ)

 韓国と北朝鮮(DPRK)は38度線38どせん)により分けられている。38度線は韓国と北朝鮮の軍事境界線である。北緯38度付近に位置することからこう呼ばれている。

 38度線には行けないが、韓国と北朝鮮の間の非武装地帯(DMZ, Demilitarized zone)には比較的簡単に行ける。DMZで世界的に有名なのは板門店であるが、その他にもいくつか一般人が行けるDMZがある。

 私たちは2005年2月、日本に帰る航空便の待ち時間を利用してソウルから近いDMZに行った。まず、ソウル中央駅から電車で臨津江まで行き、そこからタクシーで行く。臨津江はイムジンガン(河)で韓国と北朝鮮の国境線沿いを流れる大きな川。双眼鏡が展望台に設置してあり、北朝鮮内がよく見える。


2005年2月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
ソウル中央駅から北端の臨津江駅行き列車のホーム


2005年2月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
韓国最北端の臨津江駅。次の駅が平壌(ピョンヤン)となっている。
ここから北に209kmに平壌がある。開通するのはいつのことか。


2005年2月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
いわゆる38度線の非武装地帯(DMS)。
韓国とDPRKの境界線を韓国側から見る。対岸がDPRK。
この地域は河口で大きな干潟が形成されている。


2005年2月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
非武装地帯(DMS)


2005年2月 撮影:青山貞一、ニコン CoolPix
非武装地帯(DMS)にて。北朝鮮と韓国に分かればなれとなった
ひとびとが思い思いのものをフェンスにくくりつけている。

つづく