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富士五湖、自然と文化・歴史短訪

富士登山 Wikipedia
Climbing Mt Fuji 

青山貞一・池田こみち
 独立系メディア E-wave Tokyo 2023年9月30日
 

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歴史

江戸時代の富士登山。浮世絵「冨嶽三十六景 諸人登山」。北斎画。

富士山への道中と周辺の名所を描く。彼が得意とする鳥瞰図でも上下6 枚続の珍しい作品。西暦1859年。

 富士山は神体山(霊山、霊峰)として古来崇められ、登山は山岳信仰の一環としての歴史が長い。伝説では飛鳥時代、聖徳太子が乗馬して山頂に至り[1]、役小角が流刑先の伊豆大島から海上を歩いて富士山頂に通ったとされる。平安時代の貴族で学者の都良香が記した『富士山記』には富士山頂上の実情に近い風景描写がある。

 これは、良香本人が登頂、または実際に登頂した者に取材しなければ知り得ない記述であり、富士登山の歴史的記録として重要である。鎌倉時代には村山修験による修行のための登山が確立し、既に現在につながる4つの登山口があった。

 明応9年(1500年)の妙法寺『勝山記』によれば、室町時代にはすでに修行ではなく参拝のための登山が確立しており、江戸時代中期以降には関東地方を中心に新宗教である富士講が流行し、一般人による信仰目的の登山が増加した。観光目的の登山は特に西洋の登山文化が導入された明治期以降、特に中央線の開通以降に盛んになった[2]。

 富士山はかつて女人禁制とされていた[3]。しかし、江戸時代に登山客の増加につれて二合目、三合目、期間限定で五合目などと徐々に解禁されていった。江戸時代後期の天保3年(1832年)に女性では初めて高山たつが登頂[4]。万延元年7月26日(1860年9月7日)には、英国公使ラザフォード・オールコックが、外国人として初登頂をとげ[5]、慶応3年(1867年)10月には、英国公使ハリー・パークス夫人が、外国人女性登頂者となった[6]。

登山期間

 富士登山の期間は、山開きの7月1日〜9月14日(山梨県側)もしくは7月10日-9月10日(静岡県側)である[10]。残雪の多い年は7月中旬まで登山道に雪が残り、ルートの開通が山開きに間に合わないことがしばしばある。

 静岡県側は9月10日、山梨県側は9月14日で登山道が通行止めになる。9月に入ると営業している山小屋が少なくなり、宿泊や休憩、飲料水・食事、トイレの提供の問題により、登山者は徐々に少なくなる。静岡県側は、9月の第一日曜日を過ぎると富士宮ルートと御殿場ルートの七合目以上の山小屋および須走ルートの多くの山小屋は閉鎖される。山梨県側は、吉田ルートの山小屋については、9月上旬までは、大多数の山小屋が営業し、9月14日の閉山の直前まで営業するところが多いが、山頂の山小屋は8月下旬から徐々に休業し始める。

 日本最高峰である富士山の地形や気候は、後述するように非常に厳しく、上記期間以外において、万全な準備をしない登山者は、原則登山が禁止されている[11]。特に積雪期・残雪期の無謀な登山は自殺行為である[11]。

夏期以外の登山

 「富士登山における安全確保のためのガイドライン(主に夏山期間以外における注意事項)」[11]は、「気象条件が特に厳しいために遭難事故が発生するリスクが非常に高くなっている」ことや、「積雪期には傾斜が急な斜面が広範囲に渡って凍結するため、転倒等で滑落した場合に死亡事故につながる可能性が高い」ことなどを根拠に、「万全な準備をしない登山者の登山(スキー・スノーボードによる滑走を含む)」を禁止している。また、充分な技術・経験・知識・装備・計画のある登山者にも、登山計画書を所轄の警察署に必ず提出するよう要求している。

 五合目以上の登山道は夏山期間以外は閉鎖される。

 御中道など五合目周辺も冬期は積雪し登山道が閉鎖される。2014年は12月1日に閉鎖し、2015年は6月20日に開通した[12]。吉田口登山道は、5合目より下に関しては、富士山駅から馬返のバスは2015年は5月2日から11月3日がバスの運行期間[13]。冬期は積雪する。

気候
気温

 富士山頂はケッペンの気候区分でツンドラ気候に分類されるほど寒冷である。最暖月の8月の平均気温は6℃で、最寒月の1月の平均気温はマイナス18℃である[14]。1981年2月27日には最低気温マイナス38.0℃を記録した[15]。

 例えば東京と比較してみると、富士スバルライン五合目では約13度低く、山頂では約22度低い。盛夏のスバルライン五合目の気温は東京での4月中旬から11月中旬に相当し、山頂の気温は1月頃に相当する。富士山に限らないが、一般に、風に吹かれた場合、風速毎秒1mで体感温度は1度下がるとされる。[16]



 富士山頂の平均風速は夏期で8m/s、冬期で20m/sである[17]。1966年9月25日には最大瞬間風速91.0m/sを、1942年4月5日には最大風速(10分間の平均風速)72.5m/sを記録した[15]。いずれも国内一位の記録である[15]。

気圧

 富士山頂の平均気圧は638ヘクトパスカル、0.63気圧である。そのため山頂付近では水が約88℃で沸騰し[18]、人間は高山病を発症する危険性が高まる。
登山ルート

五合目以上の富士山(北西斜面、標高約2,300mから)

富士山最高峰剣ヶ峰

 現在、一般観光用として使用されている登山道には静岡県側の「富士宮ルート」「須走ルート」「御殿場ルート」、山梨県側の「吉田ルート」の4ルートと、バリエーションの「プリンスルート」がある。登山者の約六割は吉田ルートを使用する[19]。いずれのルートも登山の知識と経験、装備が欠かせない[10]。

 各ルートの登山口(自動車道の終点)は「五合目」又は「新五合目」と呼ばれ、その標高はルートによって大きく異なる。五合目の標高が一番高いのは富士宮ルートで、新五合目の標高が一番低いのは御殿場ルートである。静かな雰囲気を楽しめる須走ルート。小屋の数が多く、登山者の数も多い吉田ルートと、それぞれ特徴がある。[20]富士宮ルートの五合目は標高2,380mだが、御殿場ルートの新五合目は標高1,440mである。各登山口や主要駐車場では、環境・安全対策の財源となる原則1,000円の「富士山保全協力金」を支払う[21]。

 富士山の五合目周辺から山頂にかけてはほとんど樹林帯がなく、火山礫の登山道をひたすら登ることになる。最短の場合、標高差1300m程で山頂に達することができる。[16]

 山頂を一周する「お鉢巡り」もよく周られているが、外周の一部は昭和後期以降通行不可能となっている。また、五合目付近を周る「御中道」は、半分が廃道となっており一周することはできない。宝永山付近を散策する「宝永山遊歩道」も一般的によく登られている。

 麓からの徒歩でのルートとしては、吉田ルートに繋がる「吉田口登山道」と「精進口登山道」、御殿場ルートに繋がる「御殿場口登山道」と「須山口登山歩道・下山歩道」がよく整備されているほか、下記一覧以外に富士宮ルートに繋がる「村山口登山道」、須走ルートに繋がる「須走口登山道」(「富士箱根トレイル」の一部)も再整備されている。

 登山上級者が使用するバリエーションルートは、「主杖流し」「長田尾根」「屏風尾根」「七太郎尾根」「大沢崩れ左岸・右岸」「仏石流し」「小御岳流し」「吉田大沢」など複数存在するが、落石や滑落などもあり大変危険である。また、麓からの徒歩でのルートも、昭和の半ばごろまであった「人穴口登山道」「上井出口登山道」「新大宮口登山道・懸巣畑(カケスバタ)口登山道」「山中口登山道」「船津口登山道(河口口登山道」などは五合目までの自動車道の開通により、いずれも未整備の廃道となっている。一部は林道や自衛隊演習場内となっているので、上級者であっても登山は困難・あるいは不可能である。

辻登山の歴史

 富士登山ルートの歴史として、富士山本宮浅間大社に伝わる正治2年(1200年)の『末代証拠三ケ所立会証文』には「東口珠山」「南口大宮」「北口吉田」と、「須山口登山道(現在の御殿場ルート)」「大宮口登山道(現在の富士宮ルート)」「吉田口登山道(現在の吉田ルート)」の3ルートが記され、また北口の下山道と位置付けられていた「須走口登山道(現在の須走ルート)」は北口より歴史が古い可能性が高いことから、鎌倉時代にはすでに存在したと考えられている[22]。

 考古学的資料から見ても、現在につながる4つのルートが遅くとも南北朝時代にはすでに存在していたことは確実である[22]。古くは駿河国(静岡県)側の3ルートが表口、甲斐国(山梨県)側が裏口と呼ばれた。大宮口は大宮・村山(富士宮市)の2つの村落に管理される「大宮・村山口登山道(現在の富士宮ルート)」であり[22]、また北口には吉田(富士吉田市)以外に河口(富士河口湖町)が管理する「船津口登山道(現在の吉田ルート)」があったため[22]、戦国時代以降に富士登山が盛んになると、主に6つの村落が登山客を巡って争うようになった。

 なお船津口は六合目で吉田口に合流し、吉田口は八合目(現在の本八合目)で須走口に合流するため、頂上の内院散銭などの利権は須山(裾野市)、大宮・村山、須走(小山町)が管理していた[22]。宝永4年(1707年)の宝永大噴火で須山口は70年以上、大宮・村山口と須走口は30年以上不通になり、河口が隆盛するが、さらに富士講が流行ると、河口は当初これを避けた。

 これに対し吉田が早いうちから受け入れたため、河口を押しのけ頂上の利権争いに加わるまで隆盛し、現代につながる吉田口優勢の状態になった[22]。明治以降になると「精進口登山道」など新しいルートが次々と開削されたが主流になることはなく、昭和半ばにバスで各ルートの五合目まで行けるようになると、古来からの4ルート以外は衰退していった。

 以下は富士山登山ルートと距離、標高、山小屋・売店数などである。

ルート名 登り 下り 五合目(新五合目)の標高[23] 山小屋・売店の数[23] 標準所要時間[23] 車でのアクセス
(km) (km)
富士宮ルート 静岡県 5 5 2,380m 9(五合目1・頂上1含む)[注 1][24] 登り5時間10分・下り3時間30分 県道152号・県道180号
吉田ルート 山梨県 7.5 7.6 2,305m 23(五合目5・頂上4含む)[注 2] 登り5時間55分・下り3時間10分 富士スバルライン
須走ルート 静岡県 7.8 6.2 1,970m 14(五合目2・頂上4含む)[注 3][25] 登り6時間55分・下り3時間 県道150号
御殿場ルート 静岡県 11 8.5 1,440m 5(新五合目2含む)[注 4][26] 登り8時間20分・下り3時間30分 県道152号
プリンスルート[注 5] 静岡県 6.4 2,380m 6(五合目1含む)[注 6][24] 富士宮口五合目 ? 宝永第一火口 ? 山頂 県道152号・県道180号
登り6時間・下り2時間55分
吉田口登山道 山梨県 2,220m 3(馬返し?六合目)[注 7] 馬返し ? 吉田口六合目
(馬返しは1430m) 登り3時間40分・下り2時間10分
精進口登山道 山梨県 2,305m 0 精進湖民宿村 ? 富士スバルライン五合目
登り7時間25分・下り5時間45分
御殿場口登山道 静岡県 1,440m 1[注 8] 中央青少年交流の家 ? 御殿場口新五合目
登り3時間5分・下り2時間20分
須山口登山歩道 静岡県 1[27] 水ヶ塚公園 → 御殿場口六合目
登り5時間30分
須山口下山歩道 静岡県 1[27] 御殿場口旧二合八勺 → 水ヶ塚公園
下り2時間20分
お鉢巡り 山梨県 5[注 9] 山頂一周
静岡県 時計回り1時間35分・反時計回り1時間35分
御中道 山梨県 2,305m 0 奥庭バス停 ? 大沢崩れ
登り1時間50分・下り1時間45分
宝永山遊歩道 静岡県 2,380m 1(五合目1含む)[注 10] 富士宮口五合目 ? 宝永第一火口 ? 宝永山
登り1時間55分・下り1時間20分


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