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   シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

サマルカンド3日目

郷土史博物館6
ユダヤ人の生活
  Viloyai O'lkashunosilk Muzeyi

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月7日
独立系メディア E-wave Tokyo
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◆モンゴル帝国による支配とティムール朝



ティムールとトゥグルク朝のスルターン・マフムードの戦闘


トクタミシュと戦うティムール

 ティムール朝は西トルキスタン、イラン、インド北部、小アジア、アラル海北部の草原地帯を征服した。ティムールはロシアにも侵入し、1405年に中国への進軍の途上で陣没します。


 ティムールはサマルカンドを首都に定め、数多くの芸術家や学者を征服した土地から連れてきました。これらの人々を支援することで、ティムールは自身の帝国に非常に豊かなペルシア・イスラム文化を吹き込んだのです。

 ティムール及び彼の直系子孫の治世においては、幅広い宗教的建築物や宮殿の造営がサマルカンドやその他の大都市地域において着工されました。ティムールは学者と芸術家のパトロンとしての役割も果たし、彼の孫ウルグ・ベクは世界有数の偉大な天文学者として名を遺しました。


ティムールの宮廷

 ティムール朝時代にはチャガタイ語の形式をとったテュルク語がマーワラーアンナフルにおいて文語の地位を獲得していましたが、一方でティムール朝は本来はペルシア化された国家でもありました。偉大なチャガタイ語詩人であるアリー・シール・ナヴァーイーは15世紀後半、現代のアフガニスタン北西にあたるヘラートで活動しています。


 15世紀半ばからティムール朝は二つに分裂しました。そして、ティムール朝で継続する内部抗争はアラル海北部に生活する遊牧民であったウズベク族の注意を引きつけます。

 1501年、ウズベク人国家のシャイバーニー朝はマーワラーアンナフルに対する大規模な侵攻を開始しました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-3


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 以下は建築物を造築している模様を絵にしたものです。非常に興味深いものがあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-3


つづく