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   シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

サマルカンド3日目

郷土史博物館4
スザニ、サンドリ
  Viloyai O'lkashunosilk Muzeyi

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月7日
独立系メディア E-wave Tokyo
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◆旧サマルカンドの歴史

発展と分裂

 インドに進出したデメトリオス1世(在位:紀元前200年 - 紀元前180年)は、ヒンドゥークシュ山脈を越えて南下、ガンダーラを占拠した。さらに北西インドの侵略を続け、アラコシア、ゲドロシア、カチャワール半島まで支配下とした。デメトリオス1世に続いて、その弟アンティマコス1世(在位:紀元前180年 - 紀元前171年)の治世に入ると、インドにおけるマウリヤ朝の衰勢に乗じて更にインド方面へ勢力を拡大し、タクシラを占領してガンダーラ地方を征服した。しかし紀元前171年頃、 アンティマコス1世は武将の一人であるエウクラティデスによって殺される。ほどなくして、グレコ・バクトリア王国はバクトリアに残存する集団と北西インドの集団(インド・グリーク朝)に分裂した。

 また歴史博物館部分では、今まで見たことがないチンギスハーン、ティムールなどにかかわる版図が多数掲示されていました。

 版図マニアの青山にとっては、非常に貴重なものとなりました。当然、入場時に写真撮影費を別途支払っているので、撮影しましたが、うまく映っているかどうかはわかりません(笑い)。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-3


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-3


バクトリアからインドまでの諸都市

王国の衰退とバクトリア地方の放棄

 エウクラティデス1世(紀元前171年 - 紀元前145年頃)は王位を奪ってからというもの、多くの戦争を遂行したため、グレコ・バクトリアの兵力と国力を衰退させてゆきます。しかし、そんな状況下でもエウクラティデス1世はインド・グリーク朝のデメトリオス2世を倒し、西北インドをふたたび支配下に置くことに成功します。紀元前145年頃、エウクラティデス1世がインド遠征から帰還する際、王国の共同統治者にしておいた息子のヘリオクレスによって殺され、ヘリオクレスがグレコ・バクトリア王国の君主となりました。しかし、ヘリオクレスの治世は長く続かず、紀元前140年~紀元前130年の間に北の遊牧騎馬民族であるアシオイ,パシアノイ,トカロイ,サカラウロイの4種族に侵攻され、王国は滅ぼされました。

古代-10世紀
 ウズベキスタンの国土の中央部は、古代よりオアシス都市が栄え、東西交易路シルクロードの中継地ともなってきたトランスオクシアナ地域の大部分を占めます。この地域は古代にイラン系のソグド人が活躍しましたが、8世紀にアラブ人によって征服され、宗教的にはイスラム化しました。10世紀にはテュルク民族(カラカルパク人など)が進出し、言語的にテュルク語化が進むことになります。

モンゴル帝国・ティムール朝
 13世紀にはモンゴル帝国に征服され、このとき多くの都市が甚大な被害を受けるがすぐに復興を果たし、14世紀にはこの地から興ったティムール朝が中央アジアから西アジアに至る広大な地域を征服して大国家に発展しました。

ウズベクハン国
 ティムール朝の衰亡後、北からウズベク人が侵入し、ウズベクハン国と呼ばれるブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国を立てることになります。

ロシア帝国・ソビエト連邦
 これらは19世紀に北からのロシア帝国に征服され、ロシア革命後はソビエト連邦下の共和国となり、その後ソビエト共産党政府の統治下に入り、ウズベク・ソビエト社会主義共和国となりました。1966年4月、タシュケントを震源として市内では震度八をも記録する大地震が起こり、市内の建物のおよそ2/3が倒壊するという惨事となったのです。


1868年のサマルカンドの要塞の防衛戦。ロシアの図入の雑誌「ニヴァ」 (1872)より。


つづく