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ドイツ・ザクセン州短訪

アイゼナハ


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
現地視察:2004年9月5日、掲載月日:2020年7月20日
独立系メディア E-wave Tokyo
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アイゼナハ


アイゼナハの紋章
Source:Wikimedia Common
パブリック・ドメイン, リンクによる


 アイゼナハ(Eisenach)は、ドイツ連邦共和国の都市。テューリンゲン州に属する。音楽家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの出生地としても知られる。同都市のヴァルトブルク城は、ユネスコの世界遺産に登録されている。アイゼナッハとも表記される。人口は約42,000人。


地勢・産業

 ネッセ川とヘーゼル川の合流地付近に位置し、古くより交通の要所であった。現在も、フランクフルト・アム・マインとライプツィヒを結ぶ鉄道網・アウトバーン網の中継地点に位置している。街の背後には、テューリンゲンの森(テューリンガーヴァルト)と称される山岳地帯が広がる。ドイツの他の森と同様、酸性雨などにより大きな被害を受けている。近隣の都市としては、約50キロ東にエアフルト、70キロ北西にカッセル、65キロ南西にフルダが位置する。

 アイゼナハには、工業都市としての顔もある。旧東ドイツ時代には、高級車ヴァルトブルクの生産地であり、東西ドイツの統一後は、オペル社の自動車工場が置かれている。街には自動車博物館があり、こうした歴史を知ることができる。


歴史

 1067年、当時「王の道」と称された街道沿いに、ヴァルトブルク城が建てられた。13世紀初頭、この城の「歌人の広間」でミンネジンガー(吟遊詩人)による歌合戦が行われたとされ、リヒャルト・ヴァーグナーのオペラ「タンホイザー」の題材にもなっている。1283年、都市特権を獲得した。

 歴史上、アイゼナハは宗教改革の推進者マルティン・ルターと関係が深い。1498年より、ラテン語を学ぶため学生としてアイゼナハに留まった。この時にルターが住んでいた家は、現在も保存されており、ルターの生涯と業績をたどる展示がある。

 1521年のヴォルムス帝国議会の決定により帝国追放となったルターは、ザクセン選帝侯フリードリヒの保護を受け、ヴァルトブルク城で新約聖書のドイツ語訳を行った。

 1685年、この地でJ. S. バッハが生まれた。彼はリューネブルクに移り住むまで、少年期をアイゼナハで過ごしていた。現在も、J. S. バッハの実際の生家ではないが、バッハ一族が過ごしていた家が保存されている。1741年、アイゼナハ一帯はヴァイマル周辺を領土とするザクセン=ヴァイマル公国の君主であったエルンスト・アウグスト1世の領地となり、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国の一部となった。

 1817年、ウィーン体制下で結成されていた学生組織であるブルシェンシャフトが、この地で宗教改革300年を祝った祭典を開いた。この祭典自体は、開催当初より政治的主張があったわけではなかったが、祭典中にドイツ・ナショナリズムに否定的な書物を焼き捨てるなど、一部の勢力が急進化した。こうした動きを懸念したオーストリア帝国外相のクレメンス・フォン・メッテルニヒは、1819年にカールスバートでブルシェンシャフト弾圧の方針を固めた(カールスバート決議)。

 1869年、アウグスト・ベーベルらがマルクス主義的なドイツ社会民主労働党を結成した。この地で結成されたことからアイゼナハ派とも称される。1875年、約25キロ東のゴータで全ドイツ労働者協会(ラサール派)と合同してドイツ社会主義労働者党となった。この党が、1890年に改称してドイツ社会民主党となった。

文化

 ヴァルトブルク城以外の代表的な建造物としては、ロマネスク建築のニコライ教会、後期ゴシック様式のゲオルク教会が挙げられる。19世紀に活躍したアイゼナハ出身の詩人、フリッツ・ロイターの住居が、ヴァーグナーの博物館として利用されている(ロイター=ヴァーグナー博物館(ドイツ語版))。


姉妹都市

ドイツの旗 マールブルク(ドイツ)
フランスの旗 スダン(フランス)
アメリカ合衆国の旗 ウェイヴァリー(アメリカ・オハイオ州)
デンマークの旗 スカンデルボー(デンマーク)
ベラルーシの旗 マヒリョウ(ベラルーシ)
ハンガリーの旗 ハーロシュパタク(ハンガリー)


出身有名人

エルンスト・アッベ

 エルンスト・カール・アッベ(Ernst Karl Abbe、1840年1月23日 アイゼナハ - 1905年1月14日 イェーナ)はドイツの天文学者、数学者、物理学者、実業家である。

カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ

 カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ(Karl Friedrich von Steinmetz、1796年12月27日、アイゼナハ-1877年8月4日、バート・ランデック(L?dek-Zdroj))はプロイセン王国の元帥である。

ヴァルター・デーニッケ

 
クルト・ヴァルター・デーニッケ(Kurt Walter Donicke, 1899年7月27日 - 1945年4月19日)は、ドイツの地方政治家 (Kommunalpolitiker)。国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)に所属し、ライプツィヒ上級市長などを務めた。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

 
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685年3月31日(ユリウス暦1685年3月21日) - 1750年7月28日)は、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家である。 バロック音楽の重要な作曲家の一人で、鍵盤楽器の演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていた。バッハ研究者の見解では、バッハはバロック音楽の最後尾に位置する作曲家としてそれまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられ、日本の音楽教育では「音楽の父」と称された[1]。

バッハ一族は音楽家の家系で(バッハ家参照)数多くの音楽家を輩出したが、中でも、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはその功績の大きさから、大バッハとも呼ばれている。J・S・バッハとも略記される。

フリードリヒ・プレラー

 フリードリヒ・プレラー(Friedrich Preller der Altere、Johann Christian Ernst Friedrich Preller、1804年4月25日 - 1878年4月23日)はドイツの画家、版画家である。「ヴァイマルの侯爵家自由絵画学校」(Furstliche freie Zeichenschule Weimar)の教授を務めた。同名の息子の風景画家(Friedrich Preller der Jungere: 1838-1901)と区別するために"der Altere"が付される。

ザビーネ・ベルクマン=ポール


 ザビーネ・ベルクマン=ポール(Sabine Bergmann-Pohl, 1946年4月10日‐)は、ドイツの政治家。1990年にドイツ民主共和国(東ドイツ)最後の人民議会議長を務め、事実上の国家元首と扱われた。東西ドイツ再統一後はヘルムート・コール内閣で無任所大臣や政務次官を歴任した。


つづく