| ドイツ・ザクセン州短訪 エルベ川世界遺産取消 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 現地視察:2004年9月5日、掲載月日:2020年7月20日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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| 総合メニューに戻る ◆ドレスデン市 ![]() ドレスデンの紋章 Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる ◆エルベ川世界遺産取消 ドレスデン・エルベ渓谷 ![]() ヴァルトシュレスヒェン橋と周辺の景観 Source:Wikimedia Commons CC0, リンクによる ドレスデン・エルベ渓谷は、ドイツの世界遺産の一つとして2004年に登録されました。 18世紀に「エルベ川のフィレンツェ」の異名をとった歴史的な都市ドレスデンとその周辺、ユービガウ城からピルニッツ城までのエルベ川沿岸約18 km が対象です。 ドレスデンには、18世紀にはマイセンで築いた巨富を背景に華々しい建造物群が建てられ、19世紀には工業都市として成長する中でネオ・ルネサンス様式のゼンパー・オーパー(歌劇場)などが建てられました。世界遺産としては、ドレスデンとその周辺に残る歴史的建造物群のみならず、周辺の自然と一帯になった文化的景観としての登録でした。 しかし、ドレスデンには第二次世界大戦以前から大規模な架橋計画が存在していました。その具体的な建設に向けた住民投票が2005年2月に実施され、橋(ヴァルトシュレスヒェン橋)の建設が決まりました。そこで、翌年の第30回世界遺産委員会で危機遺産リストに加えられるとともに、建設が開始されたならば、世界遺産リストからの抹消もありうると決議されました。 ドレスデンの住民投票では、賛成した場合に世界遺産リストから抹消されうるという危険性が周知されていなかったとして、若年層を中心に反対意見が出されることとなりました。また、委員会の決定を受け、ドレスデンの市議会では建設中止が決議されましたが、これを州政府が拒否し、ザクセン州裁判所と連邦憲法裁判所も支持しました。 しかし、すぐさま建設が強行されなかったことから、2007年の第31回世界遺産委員会では、ひとまず結論は先送りとされました。この時期のドイツでは、世界遺産委員会の姿勢に対する不満なども報じられていたといいます。 第32回世界遺産委員会(2008年)の時点で既に工事が始まっていましたが、ドレスデン市当局が計画の変更などを模索している旨の報告があり、建設の撤回とすでに着工された部分の復元を条件になおも1年の猶予が与えられることとなりました。 しかし、ドレスデン州議会が建設の推進を決議し、2008年11月に上部構造の建設が始まると、もはや不可逆の状態に至ったものとして、翌年の第33回世界遺産委員会で抹消が決議されました。第32回の時点で着工されていたこともあり、この第33回委員会では抹消やむなしという雰囲気があったといいます。 形式的にオマーン当局による要請という形になったアラビアオリックスの保護区と異なり、世界遺産委員会が主体的に抹消を決議した最初の事例です。 決議では付帯事項として、文化的景観としての完全性は損なわれたものの、顕著な普遍的価値を有する部分も残ることから、異なる資産範囲と価値基準での再推薦を妨げない旨が盛り込まれました。 なお、問題となったヴァルトシュレスヒェン橋は、2013年8月に開通しており、再推薦は当然これを除外したものとなるはずです。しかし、その具体的な区域設定には難航も予想されています。少なくとも、第39回世界遺産委員会(2015年)終了時点では、ドイツの暫定リスト(世界遺産推薦候補)18件にドレスデン関連は含まれていません。
つづく |