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ドイツ・ザクセン州短訪

エルベ川 Die Elbe

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
現地視察:2004年9月5日、掲載月日:2020年7月20日
独立系メディア E-wave Tokyo
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◆ドレスデン市

ドレスデンの紋章
Source:Wikimedia Commons
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◆エルベ川


エルベ川 2005年8月28日撮影
Source: Wikimedia Commons
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ドレスデン近くのエルベ川
Source:Wikimedia Commons
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 エルベ川は、チェコ北部およびドイツ東部を流れ北海へと注ぐ国際河川です。全長約1,091kmはヨーロッパでは14番目に長く、このうち727kmがドイツ国内を占めます。



ザクセンスイス、ドイツ
Source:Wikimedia Commons
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地理

 ポーランド、チェコ国境地帯のズデーテン山地に源を発し、チェコ北部、ドイツ東部を北へ流れ、ハンブルク付近で北海に注ぎます。

 ハンブルク南東付近にはエルベ・リューベック運河が延び、バルト海南西部リューベック湾との間を結んでいます。河口付近にはキール運河があり、バルト海のキール湾に接続しています。

歴史

 かつてゲルマン系のアレマン人が原住地のスカンジナヴィア半島およびユトランド半島から南下して、エルベ川流域に在住していましたが、3世紀ごろにローマ帝国に侵入するために、地形的に便利な西部ドイツのライン川の上・中流域に民族移住しました。

 また、スラヴ系(西スラヴ人)のソルブ人も先住民として在住していましたが、次第にドイツ人と同化しました。さらに北西ドイツ地域からザクセン人の一派も移住してきました。

 19世紀までは、エルベ川がヨーロッパの東西を隔てる、大きな境界線の一つでした。エルベ以東の代表的な国がプロイセン王国、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア帝国。一方以西の国はフランス、イギリスなどでエルベを挟んで、地域の実情が大きく異なっていまし。

 代表的なのが農奴の存在であるが、西では近世初期に農奴の解消が終わったのに対して、東では、19世紀初頭から中ごろまで農奴が存在しました(グーツヘルシャフト)。

 第二次世界大戦当時の1945年4月には、東西からドイツに進軍していた、ソビエト連邦軍とアメリカ軍が、流域のトルガウで出会い、恒久平和を誓い合ったという「エルベの誓い」の舞台となりました。

 2004年、ドレスデン近郊の流域において優れた文化的景観が評価され、「ドレスデン・エルベ渓谷」として世界遺産に登録されましたが、2009年6月25日、景観を損ねる橋の建設を理由に、世界遺産リストから削除されました。


流域の都市

 チェコ
 プラハ
 ドイツ
 ドレスデン
 マクデブルク
 ハンブルク


ハンブルク港、ドイツ
Source:Wkimedia Commons
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 以下はドイツのドレスデン旧市街を流れるエルベ川です。


1750年のドレスデン市街図。16世紀に整備された星型要塞に
囲まれた市街地の上端にツヴィンガーが見える
Source:Wikimedia Commons
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支流
下流より記載

 キール運河
 イルメナウ川
 エルベ・リューベック運河
 ハーフェル川
 シュプレー川
 ザーレ川
 白エルスター川
 プライセ川
 ウンシュトルト川
 エーガー川
 ヴルタヴァ川(モルダウ川)

災害

 2002年にエルベ流域の各地で増水が発生しました。プラハ、ドレスデンの大部分が浸水する被害となったこの大洪水の原因は、旧東欧の灌漑インフラの老朽化が原因の一つと言われており、ドイツ、チェコ両政府は情報交換、灌漑インフラの充実、監視体制の強化など協力し合って、洪水の再発防止に努めています。

環境

 エルベ川には産業排水として水銀、カドミウム、鉛などの重金属、塩化物が流入し、汚染されたまま北海へ注いでいました。そして、今日においても北海に注ぐ大河の中で最も汚染された川と指摘されていまする。



つづく