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ドイツ・ザクセン州短訪

エルネスティン家

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
現地視察:2004年9月5日、掲載月日:2020年7月20日
独立系メディア E-wave Tokyo
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◆エルネスティン家


Source:Wikipedia


エルネスティン家の始祖、選帝侯エルンスト
Source:Wikimedia Commons
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概要

 エルネスティン家またはエルネスティン系(ドイツ語: Ernestiner)は、ドイツのザクセン地方を支配していたヴェッティン家の分枝です。

 家名は始祖のザクセン選帝侯エルンストに由来し、エルンスト系と呼ばれることもあります。1464年から1547年まで選帝侯の地位にありました。

 選帝侯位は後に失うことになりますが、諸分家はドイツの領邦(エルネスティン系諸公国)として存続しました。

歴史

 ザクセン選帝侯フリードリヒ2世の2人の息子、エルンストとアルブレヒトは、父から受け継いだ領土を長く共同で治めており、兄のエルンストがザクセン選帝侯位に就いていました。

 1485年、兄弟は領土を分割することを決め(ライプツィヒの分割)、弟アルブレヒト3世はドレスデンを中心とする独立の世襲領を与えられてアルベルティン系のヴェッティン家を創設しました。一方、エルンストとその子孫はエルネスティン系と呼ばれ、選帝侯位を継いで行きました。

 エルンストの長男の選帝侯フリードリヒ3世賢公はマルティン・ルターを庇護するなど宗教改革を支援しましたが、アルブレヒト3世の長男ゲオルク髭公は嫡系エルネスティン系への対抗姿勢を見せ、自領における宗教改革の進展を阻止しました。

 ゲオルクの後を継いだ弟ハインリヒ4世敬虔公の治世になって、アルベルティン系ザクセン公国にも宗教改革が導入されました。

 フリードリヒ3世の甥ヨハン・フリードリヒ1世はシュマルカルデン同盟に所属する福音派の諸侯達の指導者でしたが、ハインリヒ4世の長男モーリッツはエルネスティン系に対抗すべく、1546年にプロテスタントの信徒でありながら神聖ローマ皇帝カール5世の陣営に入りました。

 シュマルカルデン戦争でプロテスタント側が敗北すると、皇帝カール5世は自らに与したモーリッツの便宜を図り、ザクセン選帝侯位とエルネスティン系の領地の大部分をヨハン・フリードリヒから剥奪した上で、これをモーリッツに与えました。

 これ以後、アルベルティン系がヴェッティン家の主流となりました。選帝侯位を喪失したこと、また恒常的に分割相続を繰り返した(これによって個々の相続人達の取り分は代を経るごとに少なくなっていった)ことで、17世紀半ば以降のエルネスティン系ヴェッティン家は神聖ローマ帝国における政治的重要性を失い、弱小領邦の群れに転落しました。

 エルネスティン系の分家の1つザクセン=コーブルク=ゴータ家は、19世紀になると婚姻戦略によってヨーロッパの数多くの国の君主を輩出して国際的な重要性を獲得し、「ヨーロッパ王室の牧場」と呼ばれるまでになりました。

 ザクセン=コーブルク=ゴータ家は現在もベルギー(ベルジック家)とイギリス(ウィンザー家)の王家です。

エルネスティン系の諸公国

・ザクセン=ヴァイマル公国 - 1809年、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公国に再編。

・ザクセン=コーブルク公国 - 1596年、ザクセン=コーブルク=アイゼナハ公国から分離、1633年再統一。1681年にザクセン=ゴータ公国から分離、1699年に断絶。

・ザクセン=アイゼナハ公国(英語版) - 1596年、ザクセン=コーブルク=アイゼナハ公国から分離、1633年再統一。1640年にザクセン=ヴァイマル公国から分離するが、1644年にザクセン=ゴータ公国とザクセン=ヴァイマル公国に併合される。1662年、ザクセン=ヴァイマル公国から再分離、1809年にザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公国に再編。

・ザクセン=コーブルク=アイゼナハ公国 - 1596年、ザクセン=コーブルク公国とザクセン=アイゼナハ公国に分割。1633年に統一するが、1638年にザクセン=ヴァイマル公国とザクセン=アルテンブルク公国に併合される。

・ザクセン=アルテンブルク公国 - 1603年、ザクセン=ヴァイマル公国から分離。1672年にザクセン=ゴータ公国に併合。1826年、エルネスティン家の領土再編で独立、1918年のドイツ帝国消滅まで続く。

・ザクセン=ゴータ公国 - 1640年、ザクセン=ヴァイマル公国から分離。1680年、7公国に分割。
ザクセン=マルクズール公国 - 1662年、ザクセン=ヴァイマル公国から分離。1671年、ザクセン=アイゼナハ公国に併合。

・ザクセン=イェーナ公国 - 1672年、ザクセン=ヴァイマル公国から分離。1690年断絶、ザクセン=ヴァイマル公国に併合。

・ザクセン=マイニンゲン公国 - 1680年、ザクセン=ゴータ公国から分離、1918年のドイツ帝国消滅まで続く。

・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国 - 1680年、ザクセン=ゴータ公国から分離。1826年、ザクセン=コーブルク公国とザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国に分割併合。

・ザクセン=レームヒルト公国 - 1680年、ザクセン=ゴータ公国から分離。1710年断絶、4公国に併合される。

・ザクセン=アイゼンベルク公国 - 1680年、ザクセン=ゴータ公国から分離。1707年断絶、ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国に併合。

・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国 - 1680年、ザクセン=ゴータ公国から分離。1826年、ザクセン=マイニンゲン公国に併合。

・ザクセン=ザールフェルト公国 - 1680年、ザクセン=ゴータ公国から分離。1735年、ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国に改名。

・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国 - 実質的には1699年に成立、1735年に正式に改名。1825年の領土再編でザクセン=コーブルク=ゴータ公国になる。

・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国(ザクセン大公国) - 1809年にザクセン=ヴァイマル公国とザクセン=アイゼナハ公国の同君連合から改名、1918年のドイツ帝国消滅まで続く。
ザクセン=コーブルク=ゴータ公国 - 1826年のエルネスティン家領土再編で成立、1918年のドイツ帝国消滅まで続く。


1485年以後のヴェッティン家エルネスティン系(青)およびアルベルティン系(緑)の諸分家の変遷(ドイツ語)


系図(略)


つづく