| ドイツ・ザクセン州短訪 ヴェッティン家 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 現地視察:2004年9月5日、掲載月日:2020年7月20日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
| 総合メニューに戻る ◆ヴェッティン家 ![]() ヴェッテン家の紋章。「金地に黒の横縞(バー)を5本配した フィールドに緑色(ヴェア)の王冠をたすき懸け(ベンドレット)したもの。 Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる ヴェッティン家(ドイツ語: Haus Wettin)は、中世以来、主にドイツのザクセン地方、テューリンゲン地方を支配した有力な諸侯の家系。後述するように9世紀ごろに発祥したリクベルト伯爵から21世紀の現在に至るまで男系の子孫が絶えずに続く稀有な家系である。 概要 主流となるのはザクセン選帝侯(一時はポーランド王も兼ねた)、ザクセン王の家系ですが、分家も多く、ザクセン諸公国の君主となりました。 その1つ、ザクセン=コーブルク=ゴータ家はベルギー、ブルガリアの王家となった他、イギリス、ポルトガルの王家にもつながっています。家名は現ザクセン=アンハルト州のヴェッティン城に由来します。 男系で、822年に受爵したリクベルト伯爵までさかのぼれる古い家系で、現存する欧州貴族の家系ではロベール=カペー諸家に次いで古い家系とされ、ヨーロッパでも1,2を争うほど歴史のある名門でもあります。 978年にマイセン辺境伯となったリクダックはヴェッティン家出身といわれています。以後ザクセン=オストマルク辺境伯家やマイセン辺境伯家と婚姻関係を結ぶ中、11世紀前半にディートリヒ2世がオストマルク(ラウジッツ)辺境伯となり、また、孫のハインリヒ1世はマイセン辺境伯位も兼ね、以後、マイセン辺境伯位およびラウジッツ辺境伯位を同家が世襲しました。 1423年にはフリードリヒ1世が断絶したアスカーニエン家の後をうけてザクセン=ヴィッテンベルク公位を与えられてザクセン選帝侯となり、同家は旧辺境伯領とザクセン公領を合わせた広大な領地を一族で(時として分割相続を繰り返しながら)相続することとなりました。 15世紀半ばのフリードリヒ2世の二人の息子の間で分割相続が行われた後、エルネスティン家とアルベルティン家の二家に分かれました。 エルネスティン家は16世紀半ばまでザクセン選帝侯位を保持し、チューリンゲン諸公家に分かれた後、ベルギー、イギリス、ポルトガル、ブルガリアの王家を出し、子孫はいずれも現在まで続いています。 また、アルベルティン家は16世紀半ばザクセン選帝侯位を獲得し、やがてポーランド王家およびザクセン王家となり、こちらも子孫が現在まで続いています。 系図は略 つづく |