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「731部隊」今までの記録(3)

・ペスト菌攻撃事例(寧波,満州新京,常徳他) 
・被害者の証言

青山貞一 Teiichi Aoyama 編
August 29, 2017−2
独立系メディア E-wave Tokyo

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今までの記録(7) 米国の731部隊のドキュメント
推定組織と関係者


ペスト菌攻撃とされる事例

 
731部隊が開発したペスト菌爆弾を低空飛行で散布する具体的実験が中国の寧波、満州新京、常徳そしての地域で行われた。以下はその概要である。
 
 
注:のちに寧波の女性住民が731部隊によるこの実験により
    加速及び近隣住民が多数亡くなった旨を民事裁判などで
    証言している(青山)

・寧波



寧波の位置  出典:グーグルマップ

 1940年10月27日早朝に行われた寧波へのペスト菌攻撃は、低空飛行の飛行機から細菌をまく方法で行われた。この時使われたノミは、ペスト菌を持つネズミの血を吸い「ペストノミ」となったものだった。

 ノミだけではうまく目的地点に到達しない恐れがあり、また着地のショックを和らげる必要もあって、穀物や綿にまぶして投下した。11月3日までに37人が死亡し、華美病院の丁立成院長が、犠牲者の症状をペスト菌であると宣言している[24]。

・満州新京


満州新京の位置  出典:グーグルマップ

 1940年(昭和15年)11月に満州国の新京でペストが流行した際には、関東軍も疫病対策に協力することになり、石井防疫給水部長以下731部隊が中心となって活動し、流行状況の疫学調査や、感染拡大防止のための隔離やネズミ駆除を進めたとされる。

 しかし、この点についてシェルダン・ハリス(en)や解学詩は、ペスト流行自体が謀略や大規模人体実験、あるいは生物兵器の流出事故といった731部隊が起こしたものであったと主張している[25][26]。

 常石敬一は新京や農安で発生したペスト流行については日本軍の細菌攻撃説には確かな証拠がなく、疫学調査のデータは自然流行のパターンに一致していることなどから、自然に発生した疫病だったのではないかと指摘している[27]。

 しかし、ジャーナリストの渡辺延志は、2011年の金子論文発見によって、731部隊の細菌攻撃は新京から60キロの農安で始まり、農安から持ち込まれた犬が入院していた新京の日本人経営の犬猫病院を起点として、新京でのペスト流行が拡大していったもので、日本軍による細菌攻撃であったと主張する[22]。

常徳


満州新京の位置  出典:グーグルマップ

 1941年11月4日に常徳で行われた同様のペスト菌攻撃は、散布の効果が薄かった。これは、中国側が寧波での経験を生かし、日本機が菌を散布した後に衛生担当者がただちにまかれたものを収集し、破棄したからである。結果として中国側は死者数を一桁に抑えられた[28]。




の位置  出典:グーグルマップ

 一方で、同1941年に行われたへの細菌攻撃では、1万人以上の被害が出た。コレラ患者を中心1700人以上が死亡したものの、犠牲者はすべて日本兵だった。被害にあった日本兵は上官から、これは中国による生物兵器攻撃だと教えられたという[29]。


◆被害者の証言

 両親と4人の弟、それに叔父までもペストに奪われ、家族の中でたった1人生き残ったという当時15歳の王栄良は、1942年9月に崇山村でのペスト菌攻撃の様子について、次のように語っている[30]。

 日本の軍用機が低空で円を描きながら、煙のようなものを落としました。小麦やトウモロコシなどでした。数日後死んだネズミが見つかるようになり、開明街の一帯で高熱や痛みに苦しんでどんどん人が死んで行きました。街のみんなは一体何が起きたのかまったく理解できませんでした、自分の家族が次々と死んでいくのです。本当に悲惨な状態でした。

 みんな死ぬ時は苦しみもだえて、全身痙攣しながら死んでいきました。その体ははじめ赤くなって、死んだあとはだんだん黒くなりました。母は私の目の前で水をくれ、水をくれと叫び、父も喉をかきむしりながらライオンのようなうなり声をあげて死んでいきました。(中略)

 村民380人が死亡しました。20人も亡くなる日もありました。最初の死人が出ると、保護衣とマスクを着用した日本人が村に入り、3日間村中を巡回して村人に注射をしました。

 もう一人の生存者、王達は、この生体解剖所について次のような手記を残している[30]。

 丘の頂上の寺に行くと、治療を受けられると言われました。私の友人は、妻が治療を受けるためにそこに行って、数日後台に縛り付けられて体を切り開かれているのが発見されたと私に話しました。彼女の足はまだ動いており、生体解剖されたことは明らかでした。

つづく

脚注

12. ^ 秦(1999)、561頁。

13. ^ a b 常石敬一 『七三一部隊 生物兵器犯罪の真実』 講談社現代新書 1995年、135-163頁 ISBN 978-4061492653

14. ^ 常石(1995年)、139頁

15. ^ a b c d ハル・ゴールド、2002年、278頁

16. ^ 秦(1999)、565-566頁。

17. ^ 青木冨貴子 『731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』 新潮社 2008年、414頁 ISBN 978-4101337517

18. ^ 「田中淳雄少佐尋問録」1945年10月30日

19. ^ a b c 細菌戦の新発見資料について

20. ^ 朝日新聞2011.10.15. 東京新聞2011.10.16.

21. ^ a b 松村高夫「旧日本軍による細菌兵器攻撃の事実」月刊保団連2012.8.No.1102,全国保険医団体連合会,

22. ^ a b 渡辺、731部隊 埋もれていた細菌戦の研究報告―石井機関の枢要金子軍医の論文集発見 (PDF) 、『世界』830号岩波書店、2012年。

23. ^ 秦(1999)、571-576頁。

24. ^ 常石(1995年)、143-144頁

25. ^ シェルダン・H・ハリス(en) 『死の工場―隠蔽された731部隊』 柏書房、1999年。ISBN 978-4760117826

26. ^ 解学詩 「新京ペスト謀略・1940年」『戦争と疫病―731部隊のもたらしたもの』 本の友社、1997年。

27. ^ 常石敬一 『戦場の疫学』 海鳴社、2005年、157-158頁。

28. ^ 常石(1995年)、148頁

29. ^ 常石(1995年)、149頁

30. ^ a b c d e ハル・ゴールド、2002年、272頁


つづく