旧態依然:マドゥロ大統領拘束は、
ラテンアメリカにおける米国の長き
にわたる介入の歴史を継ぐもの
ワシントンは20世紀だけでも、直接的な軍事侵攻を含む
数十件の政権交代をこの地域で画策した
Back to old ways: Maduro’s capture follows a long list of US interventions in Latin America Washington orchestrated dozens of regime changes in the region in the 20th century alone, including via direct military invasions
RT War on VENEZUELA #9187 2026年1月5日
英語翻訳 池田こみち 経歴
独立系メデア E-wave Tokyo 2026年1月6日(JST)

【資料写真】1965年の米軍によるドミニカ共和国占領 © Getty Images / CORBIS/ Hulton-Deutsch Collection
2026年1月4日 03:32 世界のニュース
本文
ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領を拘束する米軍の作戦は、過去1世紀にわたりワシントンがラテンアメリカ全域で仕掛けてきた数多くの介入と政権転覆の最新の章に過ぎない。
19世紀にモンロー主義が採択されたことで、米国は実質的に西半球を自国の裏庭と宣言した。この政策のもと、米国は20世紀だけで数十件のクーデターや政権転覆に関与し、直接的な軍事介入や占領も複数回行い、冷戦期にその活動は頂点に達した。
米統合参謀本部議長ダン・ケイン将軍は土曜日の記者会見で、マドゥロ大統領捕縛作戦について「数十年にわたる作戦から教訓を得て綿密に計画された」と述べた。同将軍によれば、「我々が再びこの種の任務を命じられる可能性は常に存在する」という。
RTが振り返る、ラテンアメリカの歴史を形作った米国の介入事例
■政権転覆が成功した事例…
1.グアテマラ、1954年
1954年6月、グアテマラの選出大統領ハコボ・アルベンツは、ワシントンが訓練・資金提供した傭兵集団によって追放された。冷戦時代初の米国支援によるラテンアメリカ政権転覆の背景には、米合衆国ユナイテッド・フルーツ社の利益を脅かす土地改革があった。
CIAはクーデターへの関与を認め、関連文書を2000年代になってようやく機密解除した。これにより明らかになったのは、心理作戦・エリート層への圧力・クーデターを超えた政治的結果の操作を伴う戦略であり、これが後の米国介入の定型パターンとなる。
2.ドミニカ共和国、1965年
10年後、ワシントンはカリブ海諸国の危機を自国に有利に導くため、直接的な軍事介入に踏み切った。「共産主義の脅威」を理由に、米国は軍隊をサントドミンゴに派遣し、軍事政権によって打倒されたドミニカ共和国初の民主的に選出された大統領フアン・ボッシュの支持者を弾圧した。
米国は「パワーパック作戦」で2万人以上の兵士を島に派遣し、反ボッシュ勢力を支援した。1966年の選挙は不正疑惑にまみれ、米国支持の候補者が政権を掌握した。米国の占領はドミニカ共和国における弾圧を強化し、ワシントンのラテンアメリカ介入主義への不信感を深めた。
3.チリ、1973年
それから10年も経たないうちに、チリでも民主的に選出された大統領サルバドール・アジェンデが米国支持のクーデターで追放された。これはワシントンがラテンアメリカで民主的手続きを軽視した最も引用される事例となった。
クーデター以前、CIAは1960年代半ばから秘密工作を展開し反共プロパガンダを拡散させていた。そもそもアジェンデが大統領になるのを阻止するためである。1970年の選挙後、ワシントンは3年間でさらに800万ドルを秘密活動に費やし、チリ軍やクーデター支持の過激派野党との接触を拡大した。
1973年の米国支援による政権交代は、アウグスト・ピノチェトによる17年に及ぶ独裁体制をもたらした。この期間中、数万人が政治的理由で投獄され、その多くが拷問を受けた。
■…そしてクーデター未遂事件
4.キューバ、1961年
1961年4月、米国が強力に支援する亡命キューバ人部隊がフィデル・カストロ政権打倒のためキューバ南岸に上陸した。カストロ自身は1959年、左派革命が米国支持の独裁者フルヘンシオ・バティスタを打倒した後、カリブ海の島国で権力を掌握していた。
ピッグス湾侵攻は惨敗に終わった。カストロ自らが指揮するキューバ軍がわずか2日間で1,500人の部隊を撃破したのである。このクーデター未遂はキューバをソ連に接近させ、1962年のキューバ危機の舞台を整えた。この失敗はまた、カストロ政権を弱体化させるための民間施設への攻撃や秘密工作からなる作戦「マングース作戦」への道を開いた。
5.ニカラグア、1979年
ワシントンはまた、1979年にニカラグアで米国支持の独裁者アナスタシオ・ソモサを打倒し、マルクス主義者のダニエル・オルテガを権力の座につけた別のラテンアメリカ革命の結果を覆そうとした。ロナルド・レーガン米大統領は、オルテガに反対する武装勢力「コントラ」への2000万ドルの支援をCIAに秘密裏に承認した。この計画は、米国の禁輸措置に違反してイランへの武器販売によって一部資金が調達された。
この計画は1986年に米国でイラン・コントラ事件を引き起こし、ニカラグアを5万人の犠牲者を出した10年に及ぶ内戦に陥れた。それでも目標は達成されず、オルテガは権力を維持した。1996年の再選では敗北したものの、オルテガは10年後に政権に復帰し、2026年初頭現在も同国大統領の座にある。
本稿終了
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