[ 戻る ]
みどりのダムを検証市民が緑のダムの保水能力を科学検証平野 真佐志(ジャーナリスト) |
昨年(2000年)1月、吉野川での可動堰建設計画について、住民投票で「ノー」と明確に反対意思を突き付け、旧建設省に計画の白紙撤回を表明させた徳島市の市民が、2001年5月末、可動堰計画の完全消滅に向け、″緑のダム″のもつ保水能力を科学的に検証する作業に着手した。
国土交通省(旧建設省)の示した「白紙」の中には依然、治水の代替案の1つとして「可動堰」が残されており、計画の完全撤回には到っていない。吉野川河口近くで、現在も機能している約250年前(江戸時代)の石積み堰(第十堰)をわざわざ破壊し、可動堰に替えようとするのは、「150年に1度の洪水がもし起きた場合、最も水量が多い時(ピーク時流量)に第十堰は十分な安全度を備えていない」と国交省が主張するためである。だが、それは吉野川の全流域で、森林がもつ保水効果を考慮に入れたうえでの主張とは言いがたい。
新しい住民組織「吉野川第十堰の未来をつくるみんなの会」(世話人=姫野雅義さんら13人)は、戦後の造林政策で一斉に植林された保水力の乏しいスギ、ヒノキの人工林を入念に間伐し、広葉樹の混じる豊かな森林(緑のダム)に手入れし直した場合、流域の保水力がどのように増えるか、下流部で流量がどう変化するかを科学的に調べ、本当に第十堰が洪水に耐えられない水位になるのかどうかを検証する。
この挑戦の画期的な点は、
@吉野川のような大きな河川で、その全流域を対象にして″緑のダム″の保水能力、ピーク流量の軽減効果を科学的に、定量的に調べるのは初めての試み。
Aこの試みが成功して、保水能力を定量的に検証できる方法論が確立できれば、他の河川でも同様に可動堰やコンクリートダムが必要かどうか検証(シミュレーション)が可能となり、無駄な公共事業の削減に寄与するなど、影響は甚大である。
B本来は、政府や学会が率先して公的費用でもって実施すべき性格であるこの検証を、市民側が全国の一般市民から浄財を募って独自に行う…
の三点にある。
緑のダムの効力を主張しても、その科学的効力を定量的に証明しない限り、議論は水掛け論に終わる。市民側にとって、可動堰計画を完全に撲滅させるために、この壮大な実験は避けて通れない当然のプロセスともいえる。
この検証を実施するのは「みんなの会」が委嘱した専門委員会「吉野川流域ビジョン21委員会」。メンバーは委員長の中根周歩・広島大教授(森林生態学)、力石定一・法政大名誉教授(社会工学)、大熊孝・新潟大教授(河川工学)、石井愃義・徳島大教授(植物生理学)、高田直俊・大阪市大教授(地盤工学)、藤原信・宇都宮大名誉教授(森林計画学)、武田信一郎・愛知大助教授(行政法)ら12人。
「21世紀に向け、環境に優しく、財政負担をかけず、地域活性化を目指しながら、吉野川の全流域で、住民が川と触れ合い、川とともに生活していく場をどのように創造するか、その展望(ビジョン)を示す」という意味が委員会の名前込められている。
5月26日に東京都内(注 法政大学,青山)で開かれた第1回委員会では、今後のスケジュールなどが論議され、大筋が決定した。会議は公開で行われ、徳島市の職員も傍聴した。「あらゆる可動堰に反対」を表明して当選した小池正勝・徳島市長が市の内部に設けた「可動堰の代替案検討チーム」のスタッフである。
徳島県や林野庁の資料を基に、力石氏が集計したデータによると、吉野川の全流域の森林面積は約27万ha。(徳島市の面積約1.9万haの約14倍)そのうち、スギ、ヒノキなどの人工林は約63%(約17万ha)を占める。残りの約15.8万haは天然林だが、その中には、アカマツ(針葉樹)の二次林による里山がかなりの面積含まれているという。人工林の7割は間伐すべき対象であるが、実際に間伐が実施されているのは民有人工林で約56%、国有人工林で約28%に過ぎない、という。つまり、間伐すべき人工林の約半分しか間伐がなされていない状態といえそうだ。
調査は以下のように多岐にわたる。まず、川(上、中、下流)の中に設置されている10数ヶ所の河川流量測定点で、過去30〜50年間の「30分ごとの流量」や「降雨量」のデータを集める。その各流量測定点の上流水源域(集水域)の「地形と土質」、さらに、数十年前から現在までに@土地利用形態、A植性別の面積B人工林の樹齢構成C人工林の絶対面積比率D間伐、手入れの状況−がどのように変遷したか、衛星、航空写真なども活用して調査し、すべてをデータファイル化する。その後、降雨量と植生や間伐、土質などとの関係を解析して、「どれだけの雨が降ればどれだけの水が流れ出てくるか」を各水源域ごと、流域ごとに割り出すことができるようなモデル(タンクモデル)を作成する。これらのデータファイル化に約1年かかり、解析にさらに1年は掛かる見込みだ。
一方、データ解析とは別に、実際の森林での実験実測も行う。中根教授は、広島などの狭い区域の森林で、雨水の土中への浸透能力の実験をすでに実施している。その結果、柔らかい腐葉土の広葉樹林では針葉樹林の2〜3倍の能力があることが分かっている。吉野川では100ha以上の広い森林で実施する。場所は吉野川上流域で「土質、傾斜が同じ」という条件で、植生が一方は人工林、他方は広葉樹林の2ヶ所の森林を選定する。そこに小さな測定用の堤を設け、降雨量と流量を長期間測定したり、地中の腐葉土にどれだけ雨や水が蓄えられ、浸透していくか、などを実際に実験する。
スギ、ヒノキの人工林と、広葉樹や間伐の行き届いた混交林とではどのような差が出るか調べる。この現場は8月に現地踏査のうえ、決定される。スギなど針葉樹の落ち葉にはリグニンという物質が多く含まれている。リグニンは分解しにくいので土壌微生物が育たず、その結果、スギ林の土壌はやせて固くなり、降雨が土中に浸透しないまま表面を流れていくことが知られている。
必要な経費は約3000万円に上るが、現在、市民側が提供できるのは約400万円。残りはこれから全国的にカンパ要請する。こうした実験や分析の成果を3年後を目途にまとめる予定だ。その研究成果により、吉野川流域の森林が″緑のダム″となった場合、豪雨の際に、上、中、下流ごとにどれだけの水量が流れるかを予測することが可能になる、とみられる。その結果、150年に1度の洪水のピーク時でも第十堰が耐えられる範囲の水位に下がるかどうか、科学的に決着がつくことになる。
「これがうまくいけば、日本の河川行政が変わる」「政官学のトライアングルへの爆弾だ」という声も委員の中から出た。
林野庁は、森林の公益的機能として「緑のダム」を主張しているが、基本的にはスギ人工林をさしている。河川の全流域で保水力を増やすにはどうすべきか、という調査がなぜ、なかったのだろうか。治水は旧建設省の河川局、林野庁はスギ、ヒノキの植林を増やす政策が中心、という縦割り行政の弊害が理由ともいえる。スギ、ヒノキの植林増進に結びつかない研究は林野庁にとって″負の研究″だからである。
民主党は「緑のダム法案」を作成、今国会に銀提案している。
その柱は
@すべてのダムを一時中止し、事業の必要性、費用対効果の分析、別の手段で目的を達成できないか、環境への影響―などを2年以内に再評価する
A再評価の結果、ダム中止となれば、治水の代替策として、全額を政府負担で森林を整備し、間伐材の利用促進を図る
Bダム計画で長年苦しめられた地域・住民の生活安定、福祉向上のため「再活性化計画」を定める。
だが、この法案は、緑のダムについて一般論的に治水効果があることを前提にしているだけで、どの程度、定量的な効果があるか、などについては(法案に盛り込むべき内容ではないのかもしれないが)どのような見解か不明である。従って、もし成立しても、定量的な裏付けがない場合、実効性が乏しくなる、といえそうだ。
国土交通省河川局も、ホームページで「緑のダムによる治水機能の代替は可能か」として
@治水計画は森林の保水機能を前提に計画されている
A国土面積の3分の2を森林が占め、現在は森林が良好に保存されている時期で、これ以上森林を増加させる余地は少ない
B従って、必要な治水機能の確保を、森林整備のみで対応することは不可能」としている。
また、「緑のダムによる利水機能の代替は可能か」では
@森林整備による効果の定量的な評価は困難。森林の増加は樹木からの蒸発散量を増加させ、むしろ、渇水期には河川への流出量を減少させることが観察されているA従って、利水機能を森林の整備に求めることは適切でない。
といずれも否定している。
しかし、これは非常に粗雑な論理である。スギ、ヒノキの人工林も広葉樹もすべて「森林」という1語で片付けてしまう乱暴さ。人工林と広葉樹との差、間伐が行き届いた人工林と放置された人工林との差、土壌、傾斜による違い、そうした異なる条件下で保水力、浸透能力にどのような差が出てくるのか、それらを実験で確かめた上での結論ではないようである。「現在は森林が良好に保存されている時期」の「良好」とはどういう状態を指すのであろうか。
「これ以上森林を増加させる余地は少ない」から「治水機能の確保を、森林整備のみで対応することは不可能」とは、これもおかしな論理である。「森林を増加させる」ことが「森林整備」ではないはず。森林整備とは、手入れされずに放置されている人工林での間伐の徹底であろう。森林面積うんぬんについてはそもそも河川局の守備範囲外のはず。スウェーデンのように地球温暖化対策の国策として、木材資源(バイオマス)を石油など化石燃料や原子力に代わる地球を汚さないエネルギーと位置付け、一次エネルギーの約2割をバイオマスで賄うまでになっている国もある。
森林は若いほど二酸化炭素の吸収が盛んである。世界的に植林を二酸化炭素の主要な吸収源と位置付ける動きが加速化している。人工林での間伐など徹底的な手入れ、そして間伐材の有効利用は今後、国土保全、地域振興、エネルギー供給の面から新しい可能性を秘めているといえる。
さらに、「森林の増加は樹木からの蒸発散量を増加させ、むしろ、渇水期には河川への流出量を減少させる」についても、広葉樹林のスポンジ状になった腐葉土に蓄えられた水はどう評価しているのであろうか。森林とは、手入れされていないモヤシのようなスギの人工林しかない、としているようである。
第1回会合では、河川局が「150年に1回の洪水の際、最大毎秒2.4万トンの流量」としていることについても疑問が出された。吉野川での過去の最大実績雨量は約30時間、雨が降り続いた際の約130ミリだが、その同じ雨がそのまま2日間、連続して降り続くとして、毎秒2.4万トンという数字を出している。「これは考えられないような雨を前提にした数値」(新潟大・大熊教授)という。
昨年1月の住民投票で可動堰反対が9割に達したのは、徳島市民が可動堰の「建設理由」について、納得いかない、と認識した結果の産物ともいえる。
「150年に1度の洪水が来ると、第十堰は水流を妨げるので堤防の安全ラインを42cm超えてしまう(せき上げ現象)」…だから、第十堰を撤去、可動堰で水位を下げる必要があるとしている。しかし,市民の地を這うような綿密な調査でその“理由”もおかしいことが分かった。推理小説のようだが、過去の洪水水位の痕跡を調べ直したところ、建設省の計算した洪水水位は第十堰の周辺だけが1m以上過大に見積もられていた。洪水痕跡に即した適切な計算では、洪水は安全ラインを超えていなかったことが分かった。さらに、
@約1000億円の費用をかける現在の可動堰案がもたらす治水効果は4キロ区間で平均20センチ水位を下げるだけ。
A可動堰と同じ治水効果をもたらすには、2キロ区間を高さ6cm嵩上げし、幅6m拡幅すればいい。(その費用は膨大としているが、数字や算出根拠は出していない)
B第十堰は、250年間、地元の人々の手で守られてきた。その堰が原因で洪水が起きたり、利水の障害があったという事実はない。
C第十堰は、20年近く補修されていないが、機能している。
D 吉野川は堤防が完成してから80年たつが、その間、一度も破提していない。
こうした事実が住民の共通理解なのである。
この「緑のダム」の検証基金の話が出始めたのは2000年4月のこと。その約1週間後に「土木学会」(岡村甫会長)が面白い動きを見せた。市民の動きに動揺したのか突然、「河川構造物機能評価検討ワーキンググループ」(代表・池田駿介東工大教授)を設置した。第十堰の安全性をコンピューターで分析するなど、技術面、環境面、安全面などを多角的に検証し、学会という中立の立場で見解をまとめるのが目的、としている。
しかし、滑稽にも同グループのメンバーには、ゼネコンや建設省の職員も堂々と名前を連ねていた。『中立』と言いながら、その言葉の中身を理解しないほど日常的に密接な関係にあることを謀らずも示したようだ。
97年3月には、可動堰計画の妥当性を検証するために建設省が設置した「吉野川第十堰建設事業評価委員会」で、土木学会推薦の専門委員が既に「可動堰計画は妥当」という御墨付きを与えており、「なにをいまさら」という声も出てきそうだ。
その後、土木学会は6月、学者だけの「技術評価特別小委」を発足させ、2001年5月までに「現堰と対策案の技術的手法を検討し、その合理化に向けて学会としての中立的な指針を提示する」とした。しかし、現時点でまだ、指針は提示されていない。
(了)
(C)Copyright 環境行政改革フォーラム | 本ホームページの著作権は環境行政改革フォーラム事務局に本稿の著作権は著作者にあります。無断で複製、転載したり、営利の業務に使用することを禁じます。 |