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01.8.28

住民訴訟の改変は白紙に

法政大学社会学部教授
政策研究大学院大学客員教授
福井 秀夫

 地方自治法による住民訴訟は、自治体の財政上の違法行為を是正する上で大きな役割を果たしてきた。ところが、現在国会に提案中の地方自治法改正案では、これまで住民が直接個人としての市長等を訴えることができたのを改め、機関としての市長等を被告として訴訟を提起しなければならなくなる。被告個人の応訴の負担を軽減するのが理由とされる。自治体に損害を与えた業者を被告として請求することも禁じられる。しかも、機関としての市長等が負けた場合には、最終的には代表監査委員等が個人としての市長等を被告として新たに訴訟を起こさなければならない。

 この改正に合理性はない。第一に、住民訴訟で問題とされるような違法は市長等の職務の不適切な執行によって住民全体に損失を及ぼしたことに基づく。現在は、住民訴訟の原告は住民全体に成り代わって、住民の集合体としての自治体の損失を市長等が賠償すべきことを訴求できる。原告は自治体の利益を代弁する代理人たる立場にほかならない。本来共通の利害を持つ住民と市との関係をあえて敵対関係の構図に置き換える改正は誠に奇妙である。訴えられれば理由の如何を問わず自己を正当化するのは公的機関の宿命でもある。

 第二に、改正案では機関としての市長等が弁護士費用をはじめ訴訟の金銭・労力負担を全部自治体、すなわち住民に負わせたうえで、最高裁まで徹底的に争うことができる。利害を異にする市長等が住民の負担により弁護士費用等を賄われて圧倒的に有利となる。このような構図で自治体・住民の利益がどうやって守られるのだろうか。

 第三に住民訴訟制度が個人にとって過度に負担であるとするが、最終的に勝訴した市長等の弁護士費用は個人負担とならないよう現行法でも措置されている。自らに恥じるところのない市長等が恐れることは何もない。

 この改正で事実上利益を受けるのは、無尽蔵の訴訟資源を自己の利益を守るために投入することができる違法支出に覚えのある市長等である。住民訴訟の原告は手弁当のため、両者はおよそ対等性を欠く。制度自体を自己否定する愚挙である。

 仮に過大な負担という実態があるならば、違法行為の類型そのものの見直しをするのが筋であって、改正案のような歪んだ構造を人為的に作り出すことは不正を助長するのみだ。国会は、法治国家の最高機関としての見識に照らし、まずはこの改正案を確実に廃案にすべきである。


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