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〈第一東京弁護士会会報351号(2002.5)掲載稿〉

司法制度改革の一環としての行政事件訴訟改革 
〜 福井秀夫氏に聞く 〜


政策研究大学院大学教授  福井 秀夫氏

      [聞き手] 成蹊大学法学部教授     安念潤司 
       広報委員会会報部会第1班 班長  和田一郎
                   委員  渡部 晃 富岡武彦  


 今月号では、司法改革に関するインタビューの一環として、司法制度改革推進本部行政訴訟検討会の委員でいらっしゃる、政策研究大学院大学教授の福井秀夫先生に、主として、行政事件訴訟の改革に関してお話を伺いました。進行は、福井先生とお親しい、当会の会員であり、また成蹊大学法学部教授である安念潤司先生にお願いしました。


●福井先生のご経歴
【安念】 まずは型通りに、高校ご卒業あたりから、ご経歴をうかがえますでしょうか。

【福井】 三重県立津高校を77年に卒業、東大文一入学で81年に法学部卒業です。卒業してすぐに建設省に法律職で入省し、配属されたのが計画局総務課でして、土地収用を所管する部局でした。そこで収用法を2年ほどやりまして、国土庁土地局、建設省都市局、その後中部地方建設局河川部水政課長でした。名古屋でしたが、ここで、裁判との関係では河川に関する国家賠償請求訴訟や差止訴訟を中心に、国の指定代理人をやっています。指定代理人をたくさんやったのは、入省してすぐの2年間、土地収用の担当のときと、中部地建で河川法の担当をしていたときの2年ぐらいです。計4年間ほどで、延べでいうと数十件の指定代理人をやったと思います。
その後、本省住宅局の課長補佐として、大都市住宅対策、土地問題などをやりました。れから官房会計課で公共事業予算を担当し、建設省の人事ローテーションで東工大社会工学科の助教授として2年と少し出向しました。その後いったん建設省人事課に戻りましたが、退職して96年から法政大学社会学部で行政法を担当していました。97年京都大で博士(工学)学位を取得、2000年〜2001年にかけては法政大からミネソタ大政治学科客員研究員として留学し、帰国後2001年12月から、政策研究大学院大学へ転任したという経歴です。

●行政事件における被告行政庁・国の優位
【安念】 早速本題に入らせていただきますが、被告行政庁は、原告との対比で言えば、資源がほぼ無尽蔵だというふうに考えてよろしいのでしょうか。

【福井】 そうです。私が訴訟代理人をやっていたとき、特に末端担当者として、収用法のときには一から十まで訴訟をフォローしたり、訴訟との関連で建設大臣に収用裁決に関する審査請求がいっぱい上がってくるのですが、その大臣裁決をほとんど係員が書くということで、年間何十件も審査請求裁決を書き、裁判官はこういうことの大がかりなことをやっているのだな、というのがよくわかりました。
片や、準備書面を書いたり、出廷して被告側を防御していました。
私がそのときも思いましたし今も強く感じていますのは「被告は強い」ということです。何故なら、訟務検事に訴訟指揮を依頼しますが、訟務検事も裁判官や検察官のかなり俊秀の方なのです。やはり収用ですと、成田空港訴訟とか相当国家的なプロジェクトに関する、しかも過激派も関係しているという政治的な問題も多分にあったものですから、かなり強力なチームを組みまして、恐らく建設省も人事配置で気を遣っていたと思います。大きいものですと、成田、高速道路、送電線、さらに市町村道から学校まで、ありとあらゆる公共事業が収用に関わっていました。
 この「強い」ということですが、どういう意味で強いかというと、基本的にいくら時間がかかっても、被告は痛くも痒くもないということがあります。サラリーマンとして、あるいは官僚の人事異動の一環として訟務のポジションに付くわけですから、いくら時間がかかっても平気である。これが通常の私人間の紛争ですと、時間もコストですから一定のところで収束しようということになる。例えば和解できるものならしよう、という動機づけが働くわけですが、行政庁に限ってはそういうことはない。むしろ長く続いてくれた方が、組織として維持存続できる。訟務部局などはそういう利害があるわけです。これは法務省の事情も同じです。
たくさん訴訟がある方が、組織要求や人員要求はし易いという事実が厳然としてあります。こんなに訴訟がかかっているので、もう1人増やしてほしいとか、格上げの組織がほしいなどです。ちなみに、私が収用班に入ったころは、総務課長は局内の元締めをしているので忙しい。しかも課長ぐらいになると、法律論に余り明るくないということで、収用法は課長補佐が全ての解釈や訴訟方針の決定をしていました。課長補佐ひとり、係長が2人いまして、係員が10人ぐらいいましたけれども、キャリアの係員はひとりだけでした。その補佐ポストが、私が在籍した後数年後に収用監理官という管理職ポストに格上げになり、最近では、収用監理室と、「カン」から「シツ」に格上げになりました。一定の収用事件の処理や、収用法の改正などの立法的な対応もありますが、訟務に関する対応も一つの理由として組織がだんだんと拡充されてきたという経緯はあります。
 それからいくらお金をかけても構わない。実質的には、もちろん国家予算の制約や、事の軽重からくる制約はありますが、基本的に収用で話題になるようなものは、かなり潤沢な公共事業予算を持つ大規模事業ですので、その予算の執行の一環として応訴のための証拠をつくることができるということです。もちろん事業推進のために行ったコンサルティング調査なども、かなりの程度、訴訟資料に流用できますから、潤沢な予算で万全の鑑定や証拠を作成して裁判所に提出できるという意味で、非常に有利な地位にあると思います。

【安念】 では、訟務関係の予算が別枠であるわけではないのですね。

【福井】 通常はそうですね。事業予算の一部を割くということが多いと思います。

【安念】 事業予算を要求するときに、経験則的に訟務はこれぐらいかかる、というようなことを見込んで要求するわけですか。

【福井】 そういうことですね。明示的に訟務予算ということはないですけれども、巨額の事業が多いですから、いかようにでもなるというのが実態です。特に私の関わったものでは、例えば成田空港訴訟ですと、新東京国際空港公団が起業者で、そこが実質的には調査して資料をつくる。大臣が被告でも、実際上は起業者がかなりの程度コミットする。直接国賠法で被告になったものでは、長良川水害訴訟という安八町と墨俣町の大規模な水害訴訟がありました。最高裁の判決が逆転したので、安八と墨俣で別の結論が同じ地方裁判所で出た直後という奇妙なころに、ちょうど私は控訴審の代理人をやっていましたが、これなどは建設省の出先の工事事務所などで、流量予測や降水確率などの技術的なことを土木の優秀な職員がやっていますし、裁判のための資料作成なども打てば響くようにやってくれる。さらに建設省ですと、土木研究所という組織を抱えており、ここは博士号取得者を含めスタッフが揃っていますので、全面的に、水害訴訟の被告側の対応に関する高度な技術的事項を受け持ちます。強力な布陣が組めるわけです。
お金をかけられるし、長いことかかることは構わないし、優秀な人材も集中的に投入できるということです。法務省の訟務検事も、判事出身、検察出身を問わず粒ぞろいですから、こういうチーム編成でタッグマッチを組んでやるということですので、原告との力の差は圧倒的になる。
 反面、原告側の代理人弁護士の多くは恐ろしく質が低い。恐らく行政訴訟なんかやったことはないし、行政法の教科書も、今回依頼されて初めて読むのだろうというような人が地方ではほとんどです。東京あたりで提起されるのだと、身も蓋もないという人は少なめですが、地方都市はほとんど駄目です。

【安念】 中部地建のときのご経験ですね。

【福井】 どちらかというと収用ですね。収用訴訟は全国から起こされますので。地方の県庁所在地あたりの弁護士が地元の人から相談を受けて、というのははっきり言って、これは詐欺ではないか、勝てっこない、勝てる見込みがゼロなのに、こんな人に着手金を払ってお気の毒に、ご愁傷様というのがほとんどだったという印象です。そういう意味では、能力差も圧倒的です。もちろん成田とか長良川水害クラスになると、弁護団も何十人もいらっしゃって、これはなかなかさすが、という攻防をして緊張感があるという方が多いのですが、地方の事件ですと、ほとんど行政訴訟を引き受けたこと自体がおかしいのではないかというような方が非常に多かったですね。もう吹き出すような議論ばかりですので、こういうのは割合早く片がつくということです。裁判官もまた、そういう意味ではひどい場合が多いのですね。東京地裁の行政訴訟専門の裁判長などは、訴訟指揮もしっかりしていますし、当然頭の中に行政法のポイントが入っているわけですが、これもやはり田舎に行きますと、すごいわけです。訴外の準備手続で、行政法の判決は今まで書いたことがない、学生時代にも勉強しなかった、ましてや司法試験でも選択していない、この事件を起こされて自分は当惑している、と言う。

【安念】 要するに迷惑なのだということですね。

【福井】 えらいことになったと言って述懐をされまして、それで例えば、おたくの役所で作っている注釈書は何を読んだらいいのかとか、このごろの行政法教科書で、わかり易いものはどんなものがあるのかとか聞かれて、ご教示申し上げたというようなことも少なからずありました。

【安念】 裁判官が行政庁に依存しているのではないですか。

【福井】 そうです。端的に言うと、そういう構図はかなりあると思います。
 もっとも、個別実体法としての収用法の解釈論は難しく、私なども大学を出てすぐでしたからまだかえってよかったという気がするのですね。しばらく経つと忘れますから。たまたま私は、行政法やら憲法やら民法やら、法学部で習ったことがこんなに役に立つのだと思いました。しかしそれは、その2年間と河川をやった2年間だけで、あとははっきり言って行政法の議論のほとんどは、行政政策決定には何の役にも立たない。
そういう意味では、若いころにやらせてもらったので役に立ったとは思うのですが、とはいえ、個別実体法の解釈というのは非常にテクニカルですから、極めて技術的なのですね。比較優位がある若い係員などにとっても、かなり難しいという面はありました。特に収用の場合は財産権剥奪法規ですから、法律自体が技術的に緻密にできている。それを間違いないように解釈して論じるという、それ自体がかなり高度な作業だったと思うのです。これを裁判官で、それこそ行政法を勉強したこともないし収用法も読んだことがないという人が判決を書いたり、あるいは同じような弁護士さんがやるというのはきついだろうとは思います。反面、こちらは何十件もやっていますし、日常の実務にも習熟している、そこだけでも優位性が全然違う。

【渡部】 司法制度改革審議会の意見書の中で、行政訴訟制度の見直しの必要性について書いてありますね。そこでは行政庁の優越性を何とかしなければならない、と書いてあります。政策的判断への司法の不介入とか、行政庁の第一次判断権の尊重とか、取消訴訟中心主義等が行政庁の優位の現われであると書いてあるのですけれども、それについてもう少しアクセスを拡げようかという話になっている。
しかし、先生の今のご意見だと、それだけではなくて、結局のところ取消訴訟にせよ、収用裁決にせよ、全て人的・経済的に行政庁というのは優位で、ちょっとやそっとのことではどうにもならないということでしょうか。

【福井】 優位なのはある程度が仕方ないとしても、優位なのに加えて、行政庁が自らに都合がいいような資料しか出さなくてもいいという法的構図がやはり、今から思うと歪んでいたという反省があります。あれでは訴える方もかわいそうだった。

【渡部】 そうすると、司法制度改革審議会の意見書の提言だけでは駄目だということですね。

【福井】 全くそう思います。訴訟法の手直しだけでは行政訴訟の、本当に国民の権利を実質的に守るという意味での活性化は誠に厳しいと思います。


●議員立法による行政実体法規の改正を
【渡部】 どうすればよろしいと思いますか。

【福井】 私はもちろん、行政事件訴訟法の改正は一定程度必要だと思いますが、本当に必要なのは実体法規の改正だと思います。行政行為を規律する実体法規を全面的に改正するのがやはり重要で、特にコアになるのは裁量の部分だと思います。
今は行政庁の裁量が極めて広いですから、結果的に後からいろいろ有利に状況証拠を積み重ねることで、裁判官が行政庁が積み重ねた証拠等に対して、異論を差し挟むことを困難にする構図ができ上がっている。これは、行政訴訟法ではなくて個別の実体法規の問題だと思います。

【渡部】 その実体法規の中で裁量が大幅に認められていますよね。司法がチェックするとすれば、裁量権濫用の法理を使うわけですが、裁量権濫用の法理だけでは余り勝てないというのが原告側ですね。
それでは、今までの裁量の論理に代えて、どういった方策で実体法を変えていけばいいのか、という問題があると思います。その辺についてはどうお考えでしょうか。

【福井】 今の行政法規の中には不確定概念が多用されておりまして、例えば公益上の必要、正当な理由とか適正かつ合理的な理由とか、こういう概念が極めて多い。要件の中にこういうものが入っていると、では適正とは何かとか、正当とは何かなど、裁判での不確定概念の確定の問題になる。ここで結果的には、かなり行政庁が優位に裁量を展開する素地が出てくるということなのです。
 何故そういう法令が多いかというと、結局被告予定者が法律を作っているということに、かなりの程度帰着すると思います。もともと都市計画法、収用法、建築基準法、あるいは河川法などにしても、裁判になって行政庁の処分が争われるときには、まさに法律作成官庁の所管大臣が被告になることが極めて多いわけです。もちろん例外もありますが。そうすると大体どこの省庁でもそうですが、法解釈の担当部局や立案部局と、被告になったときの応訴部局はほとんどの場合同一ですから、結局、泥棒が刑法を作るというに近い構図があります。
もちろん公益上の目的で、一定の法改正の必要性が議論としては出てきて何らかの法改正に至るわけですが、作るときに自分が被告になるだろうということのバイアスを完全に捨象して作り得ているかというと、恐らくどの行政庁もそれほどの自信はないだろうと思います。バイアスがやはり一定程度かかっている。やはり内閣提出法案で担当部局から出てくる以上は、どうしても不確定概念が多くなってしまう。ここに構造的な問題があると思います。
不確定概念が多いと、結果的には鑑定頼み、あるいは証拠のつくり方いかんによって、かなりぶれ得る判断を有利に誘導することもやり易くなる。この積み重ねが、勝訴率で言うと一部勝訴も含めても1割ちょっと、という状況、あるいは年間 1,800件しか行政訴訟が起きていないというような、不活性化の根底にある問題ではないかと思っています。【渡部】 そうすると、実体法は行政庁とは別なところで作らなければ駄目だということになるわけですけれども、それは一般的に言って無理ですよね。そこを専門的にわかる人たちというのは、行政庁の人たち以外には一般的にはいないのですから。

【福井】 内閣提出法案でも、要するに官庁というのは、継続的組織体で独自の意思を持っていますので、大臣の指揮監督下にあるといっても、外務省が実は全くそうでなかったのと同様に、どこの省庁でも、議院内閣制の下での官庁だからそれは国民代表の指揮監督下にあるんだ、というのは実はフィクションです。官庁には独自の利害と意思がある。だから、内閣提出法案は政治的意思を代弁しているはずだというのは、実態とは大分乖離した説明です。日本では議員立法はなじまない、議院内閣制なんだから内閣法が原則なんだというのはバカげた議論です。
官庁に独自の意思があって、被告になったときの対応や許認可、あるいは予算の箇所付けなどでいかに発揮されるかの一端は、最近の外務省の一連のゴタゴタにも現れています。それを単純に内閣提出法案として専門家だから任せるという発想が、行政訴訟の不活性化のみならず、日本の病理の根源にある問題だと思います。基本的には利害が衝突する局面、要するに官庁の利害ないし官僚の利害と、国民ないし市民の利害が衝突し得る場面では、官僚にはもちろん専門家としての知識は聞いてもいいけれども、その部分で閣法を提案する主体になってはならない、というのが原則だと思います。
技術的事項はもちろん官僚機構に任せればいい。でも、例えば被告として要件が何かと争わせるような条項について言えば、これは閣法からは外して議員立法でやる。そこにオブザーバーとして役所が付いて、「ここは技術的にはこうです」という知見を提供する。だけど最終決定は国会でやる。そこに日弁連、行政法学者、経済学者など様々な有識者が知恵を投入する。しかし、今の閣法は、結局密室で官僚が各省だけで調整して決めてしまうやり方ですから、こういうやり方でも形は政治的には正当なんだというのは、フィクションにすぎず、愚かな作り方だと思います。

【渡部】 そうすると、議員立法が原則になるべきだということですか。

【福井】 利害対立する部分はそうですね。

【和田】 議員立法の具体的なところをよく知らないのですが、議員立法の場合、どういう人たちが具体的に携わるのですか。

【福井】 衆議院法制局、参議院法制局、国立国会図書館とか、国会の中に立法サポート部局があります。極力バイアスのかからない情報を得るために、そういうところを活用するというのはいいのですが、とはいえ、ほとんどが情報も行政庁に偏在しておりますので、一概に丸投げしただけではいいものはできない。だから行政庁から、情報がバイアスをかけないで出る体制にしておかないとまずい。
これも外務省がいい反面教師になります。今の情報公開は、やはり都合のいい情報を取捨選択して出せるようになっていますので、意思形成過程が分からず、役所にとって都合がいい悪いが、非公開か公開かの基準になっているということ自体も見直さないと立案体制もよくならない。
ただ、議員立法でやる場合、事務的な作業は後から何とでもなるのですが、やはり政策を国民のためにやるんだという情熱と、識見を持つ政治家がいないとどうしようもない。
そこは大前提条件ですが、ここがまたお寒いという事情もあって、極めて閉塞状況です。もっとも、行政法ではないですが、私個人の体験で言えば、安念先生ともご一緒した定期借家法の立法で――これも弁護士会には大いに反対していただいて大変だったのですけれども、何とか2年前に議員立法に成功したというものがあります。熱心な国会議員が与野党を問わずいらっしゃって、やはり時代の変化に対応した土地利用市場をつくるためには、今までの借家法では駄目なんだという気運が国会議員の中でもかなり盛り上がって、コアになる議員たちが、かなりの程度真面目に政策の議論をしたということが大きかったと思います。ほとんど与野党一致で最終的には通ったわけですが、自分の利害を離れて、かつ法務省の言い分がおかしいぞという確信を持って進めたのです。
恐らく行政法規についても、分野ごとに得意不得意はあるでしょうが、例えば経済産業関係の法律、あるいは財政関係の法律などに、利権を離れて精通している、いい意味の族議員がもっと出てほしいと思っています。今は個別利害を吸収するための族議員システムはあっても、立法政策で官庁をリードするような、いい意味での族議員というのは極めて少ないですから、そういう人たちに在野の知恵を集めることが、立法過程の今後のモデルになって然るべきだろうと思います。


●費用便益分析の行政実体法・手続法への導入を
【渡部】 現在商法でも議員立法が多くなってきているので、議員立法が原則だという方向にいくべきだとは思うのですけれども、今の状況で言うと、統一的に、全部議員立法にするのは到底無理だと思うのですね。訴訟法は訴訟法でやるとしても、統一実体法みたいな形ではできないものなのでしょうか。

【福井】 基準ということですか。

【安念】 つまり、裁量統制の一般ルールを構想できるものかということでしょう。

【福井】 そこはあり得ると思います。現にアメリカが、裁量処分について費用便益分析を実際の法令の中に盛り込んだり、裁判所が費用便益分析を司法審査の基準にしている。基本的には行政処分も、経済社会の資源配分を改善するための法律であると同時に、平等・公正を実現するための法律だと思いますから、前段部分について言えば、テクニカルにすむところはテクニカルにきちんとやれという意味で、技術的事項としての費用対効果の分析を義務づける。
要するに、ある行政処分がいかに社会的厚生を改善するのかという基準だけで判断させる。平等の原理は別途やるにしても、基本的にはそれが大原則だということを統一的な裁量統制の基準として、行政訴訟法に盛り込む余地がある。
 まず、訴訟のときの司法審査による行政の統制手段としても盛り込む。もう一つは、立法原則として実体的基準を盛り込む。さらに、基準がない裁量の解釈を補う意味で、要するに今の正当な理由とか、適正かつ合理的などという条文が仮に残っている領域があったとしても、その意味は費用対効果を最大化せよ、というメッセージがその中には入っているということを解釈で補って読め、という実体法規を作る。手続法と実体法、両方にまたがると思うのですが、これを徹底的にこしらえていくのが本筋だろうと思います。

【渡部】 例えば小田急で言えば、高架式にするという判断をするときに、地下式についてもきちんと判断して、費用対効果を判断してやらなければならない。そういうようなことですね。

【福井】 そうです。要するに、代替案についての合理的な費用対効果分析を、きちんとやっているのかどうか。やっているとしたら、その合理性を論証せよということを、被告側にも義務づけるということだと思います。

【渡部】 要するに、被告側に代替案についての立証責任があるということですね。

【福井】 そうです。私は裁量自体は残っていてもいいと思います。ただ、その裁量処分の前提として、真面目な考慮を科学的にやったかどうかということは、裁量権の踰越濫用理論を前提としても、法的基準さえあれば、裁判所はかなり容易に判断できるはずです。そういう基準がないことが、混沌を招いていると思うのです。

【渡部】 福井先生は内閣府、司法制度改革推進本部の行政訴訟検討会の委員でいらっしゃいますよね。そうしますと、少なくとも先生としては、その点を論題として取り上げた
いというお考えでしょうか。

【福井】 はい、議論していきたいと思います。ただ、やはり余り土俵を拡げたくないという動きもあるでしょうから、どこまで拡げられるかは、政府の内部組織としては限界があるかもしれません。

【渡部】 行政訴訟の検討というのは、そういうことを改革するのが一番の本筋だと思いますが。

【福井】 おっしゃるとおりです。ただ、行政訴訟改革を政府がやるというのも、個別実体法規を行政庁がやるのと同じような意味で、やや矛盾があるのですね。

【安念】 被告ですからね。

【福井】 そうです。行政訴訟法は法務省の所管で、法改正も所管上法務省の担当になっています。被告行政庁の指揮も法務省の責任です。一応司法制度改革推進本部でやるとはいえ、実際上は人事的にも法務省や最高裁の強い影響を受けているわけですから、そこが中心に法案を作るということで本当に大丈夫かどうか。被告予定者という点では、泥棒が刑事訴訟法を作るのと同じという側面があるわけです(笑)。
バイアスを全くゼロという前提で見ることができるかというと、やはりそうもいかない。
政府部内の検討はもちろんそれはそれで大事ですが、一定の限界があるということは国民も関係当事者も理解しておいて、もしそれが不十分だったら、議員立法で補うべきでしょう。
政府の組織の一員になったら、その中でしか検討すべきでないと言う人も多いのですが、私は全くそう思わないので、だったら状況により別途、議員立法のお手伝いをしても構わないと思っています。


原則として、民事訴訟とは別の行政事件訴訟は不要
【渡部】 従来からの訴訟法の議論で言えば、原告適格とか処分性の問題がありますよね。こういうことについてはどうお考えでしょうか。

【福井】 原告適格、処分性、訴えの利益の議論は非常に大事なことで、知的遊戯としては非常に面白い議論だと思いますが、原告適格と処分性を拡大せよ、という議論が行政法学界や、日弁連の中の議論でも多いというのはよく承知しています。私は、そこはもちろん拡大の余地はあると思いますが、余り重要な論点ではないと思っています。
何故ならば、今の原告適格や処分性は、究極は行訴法の「法律上の利益を有する者」や「処分」という、本当に不明確な、一言の不確定概念の解釈に全部依存しています。法律上の利益を有する者とは誰か、処分とは何かについて、行政法学者や裁判所がひねり出した理屈があるわけですが、私の理解では、究極は権利侵害を受けた者がその行為を争えるのだと素直に考えるべきです。
要するに、自分の権利を侵害された、何らかの権利なり、ある人にとって効用だと感じるものについて毀損があった、こういう状態が本来訴えを提起させて然るべき場面だろうと思うのです。行政法学者や行政法の専門弁護士の方の頭にないのは、民事との比較という視点です。不法行為の受任限度論など、差止めや損害賠償の基準の議論では、どこまで損失や損害を我慢させるべきか、どこから救済を与えるべきか、それは差止めか金銭かというのが底流にあります。ところが、行訴法上の訴えの利益や処分性の概念では、どこまでこういった損害を本人に我慢せよと言っていいのかという権利侵害なり、効用の毀損という観点からのアプローチが非常に希薄だという疑問を持っています。
私は民事で考えるアプローチと同じアプローチが、行訴法上の訴えの利益にも当てはまらないとおかしいと考えます。何故ならば、行政処分が介在した、例えば原子力発電所の認可とか空港の認可とかいうものを想定するときは、行政法でいく、要するに取消訴訟でいくというルートは想定し易い。ではもし、実体法の作り方次第で、幾らでも法設計は可能なわけですから、原子力発電所について行政庁の許認可制度がないというような、要するに契約でつくれる、民事でいける法システムを採択したときには、処分がないですから結局行政行為が存在せず、行政訴訟の余地が存在しなくなる。こういう実体法の仕組みだって別にあってもおかしくない。たまたま原子炉などは、社会的・政治的に話題になったから最近になって許認可で統制されるようになった。だから許認可の取消訴訟でいけるという反射的効果として、民事によらない差止めのルートができただけのことです。
本来私的自治の世界ででき上がるものについて、では行政法の関与がないときどうするか。これは民事訴訟でいくしかない。原子炉ができそうだ、どうも違法、あるいは権利侵害がありそうだというときに、差止訴訟でいくか損害賠償請求訴訟でいくかは別として、民事訴訟ができなければ裁判を受ける権利を否定しているという憲法論になりかねないわけですから、できないはずはない。そのときに、要するに行政法の規律を仮にいったん取って考えたときに、争える人の範囲や争える成熟性の度合い、要するに原告適格や訴えの利益に対応する要件について、許認可が絡んだときに、権利救済訴訟であることを前提にしながら、何か全く別の範囲がなければならないというドグマは全く間違いだと思います。一部に「これはとにかく広ければいいんだ」、「行政法の場合は統制の法規があるのだから、その法規をできるだけ広く読んで、民事で本案棄却になるような場合も含めて、いくら広くても広い方が望ましいんだ」、という見解もありますが、私は反対です。
 要するに、民事と行政、統一的原理からみて、本来訴えさせて然るべき効用の毀損に対して、民事も足りないし行政も足りないから、セットで広がるような理論構成を考えるというなら妥当ですが、民事は狭くていいとか、行政訴訟で争えるときに限っては「保護に値する利益説」をとるべきだとか、特殊な救済範囲があるというのは、情緒的議論、ジャーナリスティックな議論としては面白そうに見えるけれども、クレバーな法律家の考える議論ではないと思います。

【渡部】 そうすると、今までの伝統的な考え方で言われている無名抗告訴訟、義務づけ訴訟、予防的差止訴訟といった、行政法に明文の規定のない訴訟類型については、どういうふうにお考えなのでしょうか。

【福井】 無名抗告訴訟の類型を拡大していけば、最終的には民事訴訟と同じになる。それが究極の理想型だと思っています。取消訴訟でないと争えないというのは、立法の産物でもあり、また理論を過度に純化しようとした行政法学者のドグマでもありますから、取消訴訟中心主義が行政行為を争うときの原則でなければならないという、立法的な原理はないと思います。

【渡部】 そのお考えを進めていくと、民事訴訟法とは別に行政事件訴訟法が必要なわけではない、ということになりますか。

【福井】 はい、なくてもいいと思います。行政に特有の規律さえ、例えば情報を隠すな、何十年かけてもいいということをいいことに引き延ばすなとか、行為の法的安定のために出訴期間を設けるなどはあってもいいと思いますが、特段、民事訴訟と違って、なんでいきなり差止請求では駄目なのかは、原理的に理解できない。

【渡部】 そうすると最高裁の大阪空港訴訟判決はナンセンスだと。

【福井】 ナンセンスです。解釈論としても、民事訴訟で当然適法にすべきものだったと思います。【安念】 取消訴訟が中心でなければならんという発想は、実定法がつくったのでもないと思います。実定法のある特殊な解釈がつくっただけでしょう。当事者訴訟という名の下に給付訴訟もできると書いてあるのですから、その方でいけばよかったのに、何故か民事とは違う、違うのだから、取消訴訟だけだという。これはある種の幻想だろうと私は思うのですが、しかしこういう意見は、福井先生と私以外に、学界では誰が賛成してくれるのかはわからない。

【福井】 行政法学界でこういうことを言うことは、行政法学は消滅せよ、と言うに等し
い議論ですから、業界利益を極めて毀損するという問題があります。

【安念】 学者も結局役人と同じ行動様式を実はとっているわけですね。

【渡部】 族学者ということですか。

【福井】 族学者は多いと思います。レントシーキング(利権追求)の理由はありますから。


● 行政事件訴訟の人的基盤の整備
【渡部】 究極的には、今言われた論理からはそうなると思います。しかし、学説や実務の支配的な考え方は次のようなものではないでしょうか。今の法体系でいくと、まずは行政事件訴訟法があって、塩野先生の講義で言えば、取消訴訟の排他的管轄がある。しかし、公法と私法をちょっとつなげていこうというような流れもある。そういう現状において、福井先生のお話ですと、地方でも東京でも原告代理人の弁護士は余り知識がない。そういう人、あるいはそういう裁判官に対して、民事訴訟でいいんだよと言っても、もうとても追いつかないと思うのです。
そういう人たちに行政法を教育するための基盤整備の問題がありますよね。それでまた、法科大学院で行政法教育を充実しろという意見がありますよね。それについてはどうお考えですか。

【福井】 私の言ったことはかなり長期の課題で、今回の改正論議に的を絞れば、そこまでは困難かもしれません。
ただ、行政法や行政訴訟だけが特別で固有の類型だ、特殊な規律型とすべきだというドグマからは、決別して議論すべきだと思います。行政法だけが特別だというのは、行政法学者や行政法の弁護士の利益にはなっても、国民のためには決してならないと思うのです。
訴えの利益をいくら拡げても、根っこのところの法であれだけ裁量が広かったら勝てっこない。要するに、却下が棄却に変わるだけで、勝てる比率はほとんど変わらない。何の意味もない。そういう意味で、一体何が本当に国民の利益を増大させるのか、違法な行政から国民を守るための手段は何かという根っこの議論を決めるべきで、ただ「専門家」に行政訴訟改革論議を丸ごと委ねるのは、危険だと思います。私も行政法業界にいるのでバイアスがかかっているかもしれないから、割り引いてほしいとも思います。 ではどうすればいいのか。行政訴訟法の枠組みが残るとして、裁判官や関連の弁護士、法曹の卵たちに行政訴訟の仕組みをわかってもらうためにはどうするのか。
一つの方向は、例えば法科大学院で行政法を必修にして、司法試験でも必修にし、司法研修所でも徹底的に仕込む。こういう議論が行政法学界では盛んです。しかしこれはおかしい。とにかく何らかの政府規制に係るある科目の義務づけについては、私は何につけ反対でして、民法や民事訴訟法ですら必修でなくてもいいと思っています。本来そんなものを学ばないで法曹になれるわけがないのだから、市場に任せればいいと考えているのですが、行政法だって全く同じことで、ニーズのあるところにはやはりきちんと供給が
あるはずです。
とはいえ、私が被告として経験したような裁判官が出てくるのも事実ですので、弁護士と違って依頼者が選べない以上、そういう人に裁判させてはいけないということは言える。最高裁の人事配置は、田舎に質の悪い人を配置しているのは間違いないので、そういう人に行政訴訟とか知的財産訴訟のような、高度な裁判を裁いてもらうような仕組みになっていること自体がおかしい。貸し金、離婚、コソ泥位でとどめておいてほしい。地方で行政訴訟が起きても、ブロックごとの一種の行政裁判所的な組織、専門部でも行政裁判所でも構わないですが、それをつくり、専門家の俊秀を配置してまともに裁けるような体制にしてほしい。数は少なくていい。裁判官の、恐らく5%とか3%でいいと思います。その代わり、行政訴訟について攻め込まれたら、どこに出しても恥ずかしくない法理論で判決が書けるという人を、ブロックの要所要所に配置しておいてほしい。だから、みんながみんな薄く広く行政法を勉強するなどという議論は全くナンセンスだと思います。


●行政事件の裁判を集約化
【渡部】 今回、独禁法上の不公正な取引方法について差止訴訟が設けられました。けれども、その管轄が結局併合的な管轄になっています。地方の裁判所でもいいし、東京地裁でもいいのです。
今度、会社更生法や民事再生法などが改正になると、管轄を東京地裁に持ってきてもいい、あるいは、東京か大阪に専属させようではないか。種々の立法はそうなりつつあります。先生のお話は、行政訴訟もそんな発想がいいということですか。

【福井】 そう思います。自分の権利が侵害されたと考える原告の心情を察すれば、わけのわかった人に裁いてほしいという人の方が大部分でしょう。今は処分庁は大臣で東京ですが、土地に関するものだったら地元で起こせるという訴訟管轄を選んで、便利な地元の方でやることが多い。今の選択は東京か地元か、ですね。

【安念】 そうです、中央省庁について言えばね。

【福井】 ブロックの中心の行政裁判所というものは想定していないですから、東京に行く面倒を考えれば、多少無能でも地元の裁判所でいいというのが人情でしょう。ブロックでも不便かもしれませんが、東京よりはましだと考えれば、ブロックの裁判管轄、例えば仙台とか広島の裁判管轄も認めておけば、移動のコストが少なくなる分そちらで質の高い司法を求める人が増えるのではないかと思います。

【渡部】 そこで、手に余れば職権移送できるというふうにすればいいわけですね。

【福井】 そういう手もあると思います。


●裁判官に行政側を負かせる武器を
【和田】 ささやかながら行政事件の原告をやった感触からすると、行政の専門の裁判官――東京でかかったのですけれども、判断の中身において、どちらかというと行政寄りではないかという印象を持ちました。そういうところへ、今刑事事件で話題になっている参審制のように、素人を入れるというのはどうなのでしょうか。

【福井】 素人的な感覚はもちろん大事で私は好きですが、ただ行政訴訟の場合、それ以前の、細密画の先っちょのようなところの法理論的解釈で片がついてしまうことが極めて多いと思うのです。もちろんそういう余地はあると思いますが、実際上裁判官が行政寄りに見えることもあるし、実際上、法律論など被告の準備書面を丸写しする裁判官が多いのですが、その解決策を訴訟指揮や裁判官の気質、あるいは素人が参画していないからだというところに求めても、結果的には余り甲斐がないという気がします。
そこで片がついているのではなくて、裁判官が行政庁の判断を尊重せざるを得ないような実体法の作り方がなされているところで片づいている。その枠組みで勝負する限りは、裁量の逸脱・濫用は、裁判官としては簡単にはそんな恐ろしいことは言い切れない。身近に接していましたから、裁判官の心理はよくわかります。多くの場合、彼らは一定の段階で最後は国を勝たせると心証を決めます。
ところが証拠調べについて言えば、膨大な証拠収集や、緻密な鑑定などを被告側に何でも要求する。勝たせるという結論は決めているけれども、きっちり証拠を調べて、判決が公開されたときに専門家や人事評価権者の納得がいくようにはしたい。それは原告に頼んでも無理だから、徹底的に被告側に負担を強いる。これが多くの裁判官の行政訴訟に対する姿勢のパターンだという気がします。
こういう、ある意味では先が見えているような訴訟の構図を放置したままで、多少裁判官に素人感覚を持たせて、例えば参審で誰か別の専門家を入れたり、陪審的なものを設けるということもあり得るとは思いますが、余り甲斐がないかもしれないという気がします。
構造改革がやはり先決でしょう。

【渡部】 現在の裁量権の濫用の法理をそのままにしておいたのでは、幾ら参審制をやっても意味がないということですね。だから実体法を変えて、裁量行為ではありながら代替措置を考慮しなければならないようにする。あるいは統一的な訴訟法でそのような形をとるのですね。

【福井】 そうです。要するに武器を与えてあげないといけない。裁判官に、違法なときには、きっちりと行政庁を敗訴させても精神的にぐらつかないように、はっきりした武器を与えてあげるという措置が重要です。今はそういう武器が全くない。五里霧中の中で、何かおかしいな、だけど行政を負けさせるほどの確信はないという、苦渋に満ちた裁判官は非常に多いと思います。

【渡部】 そういった背景がないときに自信を持ってできるわけはないでしょう。そして、それが全部に影響してくるわけでしょうね。結局、原告の方は、勝てそうもなければ訴訟を起こそうとしませんし、行政訴訟についてやりたいという弁護士も増えない。そうすると行政訴訟は活発化しませんよね。

【福井】 全くそのとおりだと思います。要するに、 1,800件しか裁判が起こらなくて、その中の1割ぐらいしか勝てないなどというほど、行政が緻密で適正な権力行使を日本全国で行っているということはあり得ない。しかし勝てないから起こさない。グレーゾーンについてはほとんどの場合、諦めが蔓延していると思うのです。裁量論から言えばぎりぎり適法かもしれないけれども、実際には違法とした方が社会的にはずっと意味があるというような領域を、きちんと違法と判断できるような訴訟法秩序と実体法秩序を形成してあげる。
その一つの有力なやり方が、先ほども話題に出た費用便益分析です。これは決定的に重要だと思います。客観的な判定ができますから。

【安念】 その手法ですが、具体的な場合に適用して、費用が便益よりも多くなっているとか、便益が費用よりも多くなるとか、クリアな結論が出るような手法が既に開発されているのですか。

【福井】 あります。特に即地的な事業に関して、例えば道路でも河川でも、私が関わった事業はほとんどそうですが、ある事業を行ったときの事業の価値や費用、すなわち効用と不効用は全部周辺の土地の値段に反映されます。
例えば嫌悪施設――ごみ焼却場や原子炉などができると周辺の地価は確実に落ちますし、駅ができると周りの地価は上がる。これらは正直に土地価格に反映されます。その施設がある土地に対してもたらしたプラス分が合計どれだけ、マイナス分が合計どれだけかを計測する、「ヘドニック法」という土木工学や都市工学、都市経済学で一般的な手法があります。アメリカでも盛んですし、日本でも専門家が育っており、信頼度が高い。差し引きすれば純増いくらというのが出る。
例えば、高架がいいのか地下がいいのかというような問題についても、代替案ごとにヘドニック法で費用便益分析をやれば、どちらがデメリットが少なくてその割にメリットが多いのか、差引きでどれが一番社会的な効用の増大が大きいのかということが客観的に算
定できます。
データの選択や作成などでコンサルなどがやると、発注官庁の結論に合わせてデータを入れるなどということを現にやっているケースも結構ありますが、全部中身と手続を公開させれば、第三者が反証ないし再現することが可能ですから、情報公開を義務づけた上で、ヘドニック法に基づく測地的な費用便益分析を徹底的にやれば、かなりの程度客観的に分析できる。少なくともそれを前提にして処分がなされているかどうかを司法が審査するようになれば、施設に関する許認可や規制は、ほとんどの場合、実際上も訴訟上も国民の利益を増やす方向で片がつくでしょう。

【渡部】 違法がある場合、裁判官が安心して原告を勝たせるシステムですね。それを訴訟法上つくるわけですね。それが結論的に、行政法に強い裁判官、行政法に強い弁護士をつくる早道ということになるわけでしょうか。

【福井】 そうだと思います。


●住民訴訟改正には反対
【渡部】 今議論されているものの中で、住民訴訟(地方自治法242条の2)の改正があるのですけれども、福井先生は総務省案には反対というご意見ですが、かいつまんで現状をご説明いただけますでしょうか。

【福井】 住民訴訟の制定経緯は、GHQがアメリカの直接民主主義的な発想を入れてつくったが、占領軍は国法については入れ忘れて地方だけ入れたのだと思います。何故ならば、アメリカは州の自治の国ですから、日本国全体について遍く規律する法律が、それほどにも重要なものであるという認識は恐らく占領軍にはなかった。そうすると自治体のレベルで具体的な公金支出の違法などをコントロールしておけば十分だろうと、自分の国を念頭に置いて、間違って地方だけで入れてしまったのではないか。これは別に検証しているわけではない仮説ですが、本来日本では国にもあって然るべきでした。そうすれば外務省の公金横領などは、誰か奇特な人がもっと早く見つけて是正してくれていただろうと思います。
とはいえ、現にあるのは地方自治法だけですが、実績も多く、知事や市長が直接被告になり得る住民訴訟があることで、かなりの程度、官政談合が防止されたり、違法な公金支出が是正されたりしています。相当の重要な機能を果たしてきた制度だと思います。

【渡部】 現行法では、県で言えば知事とか、市で言えば市長とか、あるいはある一定程度の重要な機関を被告として、商法で言えば株主代表訴訟のように、客観訴訟として住民が直接請求できるシステムになっています。
そこの部分を今の改正案では、個人に対する請求はできなくなって、自治体を被告にするという案になっていますが、それについてはどういうご意見かお聞かせいただけませんか。

【福井】 総務省から出ている法案、衆議院では12月に可決していますが、そのポイントはまさに被告を変えるということです。今までは知事個人、市長個人との間で争うことができた。これからは全部、機関としての知事や市長を相手にする。これは実質的には行政主体としての県や市町村を訴えるのと同じという違いがあります。
また、今までは談合企業が価格をつり上げて自治体に損害を与えたような場合、談合企業を相手に直接訴えることもできましたが、これもできなくなります。自治体の
機関としての知事なり市長を訴えないといけなくなる。
そうすると何が起こるかというと、今までは個人として知事、市長や談合企業が応訴していましたが、これからは全部公金を使って自治体が業務として応訴できるようになる。先ほども申し上げましたが、仕事として訴えられたら、行政庁の職員はまず却下、次に棄却を求めて争う。多少後ろめたいことがあっても表には出さないというのが職責です。しかも何年かかって争っても構わないわけですから、公金を使って、横領市長や横領知事がのさばれることになりかねない。これは自治体幹部の緊張感を失わせるというのが私の感覚です。
 本来理論的にもおかしいのは、今は自治体に損失を与えたから自治体の金庫に返せと、自治体の主人たる住民が訴えることができる。それが、今度は住民に自治体を訴えさせる。被害者が被害者を訴えろということで、加害者は高みの見物ができる。誠に異常な法改正だと思っています。

【渡部】 そういう意味で、先ほどご主張された、普通の行政訴訟を裁判官が自信を持って原告を勝たせるという考え方と逆行するわけですね。

【福井】 そう思います。行政訴訟の活性化、本来行政を適法に行わせるコントロール手段は多い方がいいという今の趨勢に、真っ向から逆行する愚挙だと思います。

【安念】 しかし賛成派は、自治体に説明責任をより多く課するようになるのだから、住民訴訟を活性化するんだというふうにご主張のようですが、これについてはどうお考えですか。

【福井】 詭弁だと思います。説明責任を果たさせるために自治体を被告にしたというなら、今までも訴訟参加できたはずではないか、わざわざ被告にならなければ説明する気はないのか、そういう自治体こそいかがわしいではないか、という疑問に答えてもらう必要がある。被告にならなければ説明できないような自治体が本当に多いなら、その体質を変えることが先決でしょう。 しかし、現実には、自治体を被告とすることで、住民の主張を否定するための「説明責任」を果たそうと懸命とならざるを得なくなる。賛成論は、被告の訴訟行動を知らないでの主張なら愚かだし、知っての主張なら悪らつです。

【渡部】 地方に出向する役人に聞くと、応訴が大変で、個人が訴えられたら本当に大変なんだというのです。場合によったら、自分の責任でもないのに、県に対して少しずつ、接待費のようなものを返さなければならない。それは住民訴訟のせいだ、というようなことを言う人たちが多いですね。これについてはいかがでしょうか。

【福井】 誰だって訴えられるのが好きだと言う人はいないでしょうから、訴えられている人に意見を聞いたら「訴えられるのは嫌だ」と言うに決まっています。
最初から結論が見えている。でも、だからこそ彼らは、襟を正して仕事をせざるを得なくなるという動機づけが与えられているという側面を見逃してはいけないと思います。もちろん大多数の人は真面目にやっているでしょうけれども、いつ訴えられるかもしれないと思うからこそ、しかも個人で防御しないといけないと思うからこそ、個人としての決裁について襟を正してやる。公金の違法支出を了解しないという当たり前の倫理さえもてばよい。それは、いやしくも幹部を務める者の当然の職責です。
また、自分に責任のない接待費を住民訴訟で返させられることは法的にあり得ない。それらは非常に手前勝手な議論だと思います。

【渡部】 現行制度でも、自治体が係わろうと思えば職員側に補助参加できるのですよね。

【福井】 できます。さらに行訴法23条ではもっと楽に参加できます。申し立てれば実質的に無条件に可能です。改正論では自治体が説明責任とか、個人で大変だと言うけれども、もともと住民訴訟の根幹は、個人として最終決裁権者にあたるような一定のポストにある人が、違法な公金支出の意思決定にあくまでも個人として参画したかどうかが争われるということです。組織としての違法や権利侵害を問う国家賠償請求訴訟などとは異質で、その人の注意義務がまともに働いていたのかどうかということが問われているわけですから、組織がある個人の注意義務について「説明」する、答弁するということは矛盾だと思います。その人でなければ説明できないことを、どうして組織に、しかも被害者たる組織に肩代わりさせるのか。この点でも改正論は破綻しています。

【渡部】 損害が膨大だとか、そういうことであれば、賠償額を制限する条文を定めればいいわけですよね。

【福井】 私はその案を提唱し、民主党が採用して12月に対案を国会に出しています。賠償限度額を設ければいい。年収の何倍とかやればいい。
また、奥さんが訴訟承継して大変だなどと横浜市長の遺族がやっている訴訟について、さも人情談として情緒的に語る向きがありますが、これももし奥さんまでいくのがかわいそうだったら――本来相続権を放棄すればそれで済むだろうとも思いますが、いったん承継してしまったものがあるとすれば、奥さんには一定限度額しか承継しないなどの救済手段はいくらでもあると思います。賛成派からの論理的な反論はひとつもないと思います。

【渡部】 現に商法の代表訴訟で言えば、平成13年12月に報酬額で制限する立法がなされましたので、同じような客観訴訟である住民訴訟にできないわけはないですね。

【福井】 本来は、GHQが恐らく入れ忘れたのではないかと思われる、国のレベルでの違法な公金支出のコントロール、いわゆる国民訴訟をこれからつくるべきだと思います。条文作成も容易ですから、行政事件訴訟法の中に国民訴訟という類型を入れて、国の違法な公金支出も、自治法の今の仕組みと同じ仕組みでコントロールできるようにするということは、今度の行政訴訟改革においても十分俎上に乗り得る話です。
そういう議論にも真っ向から逆行する。お膝元の、しかも歴史があって、数々の有益な実績を上げてきた制度を葬り去る方向で改正することに、合理的理由はありません。私がアメリカにいるころに、いつの間にか閣議決定されて国会に提出されていた。一体日本にいる憲法学者、行政法学者、弁護士は何をしていたのだろうと驚きました(笑)。

【安念】 福井先生に、随分叱られたのですよ。

【福井】 帰国して、とんでもない法案が通りそうだというので反対をしていますが、知事会、市長会などが必死で地元選出の議員を与党も野党もまめに回っている。だけどこれでは誰の利益が損なわれるかを考えてほしい。

【渡部】 しかも、さほど国民的な注目を浴びないままできそうな感じですよね。

【福井】 そうですね、住民投票と抱き合わせになっていますから知られていない。与党の幹部ですら「あれは住民投票の法改正だろう」と言って、住民訴訟の改正があることを承知していない人が随分いたぐらいです。一種の騙し討ちに近い法改正ですが、これも内閣提出法案の病理のひとつだと思います〔広報委員会注:改正法は平成14年3月28日に成立した。〕。


●空港に関する民事による差止を認めよ
【渡部】 先ほども出ましたけれども、公権力の行使については司法の差止めができないというような、大阪空港訴訟流の考えについてはどのようにお考えですか。

【福井】 取消訴訟の排他的管轄という制度を、私は本来は取っ払っていいと思っていますが、残っている限りにおいては、取消訴訟で端的に争える部分が、民事では除外されるという議論は一応前提とせざるを得ない。そういう意味では、公権力の行使――あの判決自体不明確ですが、一般的には取消訴訟のルートしか通るなと言っている実体法上の許認可の効力を争う部分は、民事では争えないのだろうと思います。
しかし、大阪空港の案件について具体的に考えれば、あれが民事でいけなかったはずはないと思います。取消訴訟の排他的管轄の問題ではないにもかかわらず、最高裁がその適用を誤って民事訴訟を排除した。飛行機の運行自体を取消訴訟の排他的管轄の問題だと捉えたこと自体が誤りだったと思います。

【渡部】 具体的に民事だけで言えば、要するに不法行為で差止めを認めるか、それから日照権と関係ない人格権で差止めを認めるとか。不法行為的なものについては、人格権を措定して差止めを認める場合があるのが民事の一般的な原則ですよね。

【福井】 はい。

【渡部】 あの場合、公権力を行使をしているから差止めを認めないということは、やはりおかしいということですね。

【福井】 航空行政権と言っていますが、全く間違いだと思います。個々の飛行機を飛ばす飛ばさないというようなことについて、航空行政権の行使たる行政処分を争わない限り、民事訴訟を排除するなどという、奇妙きてれつな理論構成に誤りがあります。
航空行政権の行使たる行政行為についての取消訴訟の排他的管轄が何たるかすら不明ですから、運行との関係でそんなものはないと言うべきです。ないものをあるという前提で民事訴訟を排除したことが基本的におかしい。人格権でも環境権でもいいですが、とにかく被害を受けていると考える人との間での民事訴訟を、端的に認めて何の不合理もない案件だったと思います。

【渡部】 要するに民事だけで、解決できる問題だったとお考えなのですね。

【福井】 はい、行政法が出しゃばる領域には一切なるべきでなかったと思います。

【渡部】 例えば、マンションとかビルが日照権を侵害しているときに、建築確認があることが別に差止めの妨げにならないと同じということですか。
【福井】 同じだと思います。それも建築確認があるのだから、民事訴訟は違法だと言わないと最高裁の論理では辻褄が合わないですが、そうは言わない。全く矛盾した議論です。


●事情判決への疑問
【渡部】 裁判例では去年あたり、東京地裁の小田急電鉄の判決がありますね。行政計画を取り消した。事情判決をしないというような判決でしたけれども、それについてはどうお考えですか。

【安念】 もう実際には既成事実が相当進行している中で、都市計画決定に関する処分を取り消してしまうといった場合、裁判所としては、そういう責任ある決断は一体できるものなのだろうか、という素朴な疑問はあるのではないかと思うのです。どう思われますか。

【福井】 一般論として言えば、違法なら本体で取り消すべきであって、事情判決は変な制度だと思います。時間が経って困るというのは、違法か適法かを審査するという筋とは別の次元の問題で、そういう問題であれば、例えば仮の差止めを認めておいた上で、一定期限内に判決を下すということを訴訟手続上の原則とするというようなことで回避すべきであって、違法なら本来、本体を取り消して全部撤去せよ、というのでないとおかしいと思います。
関連した議論では、定数不均衡是正の選挙無効訴訟などみなおかしい。憲法14条に違反するが選挙は有効という論理は、事情判決の想定場面ですらなく全く理解できない。本来、ダムにせよ鉄道にせよ道路にせよ、事情判決で原告を負かせることは極めて例外的なものと想定しないと、結局はお金で解決すればいいということを見越して、行政が容易に既成事実をつくることができる。取消訴訟の差止機能はなくなってしまうわけです。


●行政計画の統制は民事で
【福井】 もう一つの論点の、では行政計画そのものをどう統制するのかということです
が、これも結局、行政計画を全部取消訴訟の排他的管轄の問題だと捉えて、訴えの成熟性がない限りは駄目だという議論でアプローチする限りにおいて、極めて限界があります。そもそも成熟性は法律上の利益に帰着するわけですから、自分の権利や利益に関係した侵害が起こっていない段階で、何とか侵害が起こっていることにして「処分性」を認めて争わせろというのが――できるだけ手前で争わせる、しかも行政法の世界で争わせるのでなければならない、という論者の議論なのですが、そのアプローチ自体がそもそも間違っている。民事訴訟でやればよく、取消訴訟で行政計画を争わせるというのは、アクロバティックで本来効かない薬、ないし明後日を向いて撃っている鉄砲と同じです。何でも自分の業界の中の範囲で片をつけるというのは、いわゆる「専門家」の悪い癖だと思います。民事訴訟で差止訴訟というのが、本来の議論だと思います。そうすれば、「後から混乱」という問題だって解決できるわけです。
行政訴訟の取消訴訟の排他的管轄が効く場面は、段階的行政決定の最終段階が典型ではないと思うのです。一発勝負の処分でそれが違法か適法か争わせて一気にけりをつける、という場合はなじむのでしょうが、だんだん成熟して後ろで権利侵害が起こる。要するに、最終的に土地収用などが起こると決まっている手続について、そこに至らないと争わせないというように、行政行為の公定力概念を使うこと自体が、もともとなじまない過度の応用拡張だったという気がします。
 こういう場合は原告適格と異なり、後での権利侵害が明白ですから、その前での侵害性を厳格に要求するのはなじみません。


●訴えの利益と原告適格の明確化
【安念】 司法制度改革推進本部の行政訴訟検討会のことをうかがいたいと思います。現在のところ、1回しか開催されていないのですが、差し当たりの材料としてはどのようなことが出そうな雰囲気でしょうか。

【福井】 そういう議論は出なかったのでわかりませんが、さしあたりあり得るのは、訴えの利益とか原告適格でしょうね。これを拡げるのかどうかはわかりませんけれども、何らかの形で見直そうという議論は多分出るでしょうね。拡張することにはどちらかというとネガティブですが、「はっきりさせろ」という議論は賛成です。誰が訴えの利益を持っていて、誰が持っていないのか。原告適格にしても訴えの利益にしても、処分ごと、あるいは原告の類型ごとに一覧表にでもしてしまえというのが――安念先生もかねてよりご持論ですが、私も賛成です。裁判所に持っていって判定してもらうべき問題ではない。本来立法で明らかにすることです。
総合規制改革会議の都市再生ワーキングに専門委員で入っていますが、去年の11月から12月にこういう議論があって、私から都市計画法の許認可や建築基準法の許認可など、全部誰がどの範囲で争えるのかを、法律に別表を作って書いてしまえと主張したら、国土交通省が嫌がりまして、法改正は避けたいが具体的な範囲を、例えば行政通達のような形で明らかにすることは努力する、という約束をしています。明確化の重要性を各官庁もある程度は考え始めた段階だと思います。極めて容易だし、即効性があるはずです。

【和田】 その関係で、被告適格の方なのですが、ある学校の廃校処分取消訴訟をやったときに、どこが被告になるのか確信が持てず、結局機関として5つぐらいを列挙して訴えたことがあったのですけれども、この辺も明示してもらうなり、あるいは教示制度なり、何かないといけないのではないかと思うのですが。

【福井】 そう思います。行政庁と行政主体とで人格が違うため、場合によると被告変更を認めてもらえなくて、出訴期間を徒過してアウトになることがあります。ひどい話で、訴えられるべき正しい被告がある以上、間違えられて訴えられた方は、正しい被告に移送してあげて、間に合う出訴期間内にきちんと訂正ができるように教示をしてあげる。こういう仕組みを本来つくったらいいと思います。さらに踏み込めば、こんなものは誰だっていい、関係した人を訴えたら善意に解釈して、その訴訟が適法になるように行政庁内部で整理してしまえ、という法改正をした方がいいと思います。

【安念】 私は被告を特定する必要はないと思うのです。少なくとも取消訴訟であれば、処分を特定すればいいのであって、被告を特定する必要はないですよ。

【福井】 誰がやったのかなどというのは、内部では一見して明らかでないわけですからね。

【安念】 その行政庁は来るわけではないし、代理人や事務職員がやるわけですからね。
行政は一体だという原則なのですから。

【福井】 私は被告として、取消訴訟について、国を相手に訴えたものは却下せよ、と言って答弁書を書いていました。被告としてはやむを得ないのです。これは裁判所では通るのですが、気の毒です。

【和田】 おっしゃるとおり、被告となりそうな行政庁を5つ並べたら、却下するものについては、判決で数行ぐらいちょこちょこっと書いて、はねられてしまいました。

【安念】 被告適格がないということですか。あれは教育委員会になるのですか、廃校の処分は。

【和田】 いいえ。区立の小学校の廃校処分取消についてですが、裁判所は、区が被告となる可能性を示唆していました。

【安念】 多分そうだと思うな。

【渡部】 だから、そういうのはやはり、今の制度で言えば被告変更を認めるとかの措置をとらないとね。

【安念】 そうですよ、そこを柔軟にすればいいのですよ。

【福井】 それも裁判官の裁量だと臆病風を吹かす人が多いですから、やはり法令の根拠を与えてあげるべきです。裁判官は総じて小心者の集団ですから、法的手がかりの薄い思い切った判断を彼らに期待しても無理です。


● 司法に行政裁量の統制を委ねるな
【福井】もう一つ、裁量の統制ですが、これも行政法学者に非常に多い議論は、行政庁の裁量はけしからん、だから裁判官がもっと判断の代置方式をとるべきだ、判断過程の統制ではなく、判断を行政庁に成り代わって実体審査を裁判官がしてしまえ、という議論が盛んです。私は絶対反対です。行政庁がずさんだということは、自分もいましたからよく知っているつもりですが、だからといって裁判官が成り代わって判断するのはもっと恐ろしい。
何故なら、裁判官は、ある許認可や行政処分の影響や効果について何の政治的責任もとり得ない立場です。さらに何の専門的トレーニングも受けていない人たちです。彼らが自分の価値判断で裁くようなことはあってはならないと思います。
裁量の統制が行政庁でないなら司法だというのは誤りで、立法機関に直接やらせるのが筋です。そういう意味で、裁量の明確化は実体法規の大きな課題で、不確定概念を全部定量化していくべきです。ただ、それが行訴法の議論から離れるとしたら、今度の改正議論でも差し当たりできることは、裁量統制の基準として行政庁が費用便益分析をしていることを前提として、その裁量の逸脱・濫用がないかをきっちり審査せよという審査手続きを入れることだと思います。
要するに、不確定概念では費用便益分析を前提にして、逸脱・濫用を裁判所がチェックせよと手続法で書いておけば、実際の許認可まで波及しますから、これは少ない法改正で実体的な処分を統制する有効なやり方だと思います。


●よい意味での族議員の育成
【和田】 最初の方の議論で、先生が「よい意味での族議員」とおっしゃいましたが、どうやったらこういう人たちが育つのでしょうかね。

【福井】 どぶ板をやらないと選挙に通らないというシステム、選挙制度にやはり問題があると思います。

【和田】 昔、ある乱暴な議論を聞いたのです。勅選議員を復活せよ、という話なのですけれども(笑)。

【福井】 多分官僚化しますから、それはちょっとどうかと思う。やはり、代議制民主主義の本旨が機能するようにしてほしい。要するに、地元利害代弁者としてではなく、国民代表として振る舞う議員をどうやったら選べるのかというのが原点だと思います。

【和田】 理念というか理屈としては納得いくのですが、現実問題として本当にそういう人があり得るのでしょうか。

【福井】 議員だって、立法政策なんか真面目に勉強したら選挙に通らない可能性が高いわけですから、インセンティブがないわけです。実際政策問題が好きな政治家は選挙は弱いという相関関係が、恐らくあるのではないかと思います。この重要な要因は、1票の格差だと思います。地方部が過度に代表され過ぎていますか
ら、政策問題が比較的争点として薄くなり易い。地方へ行けば行くほど、浮動票が少なく組織票が多い。しかも公共事業票が多いところで、過度に1票が重いということは、政策問題を真面目に考えると、事業費や、ひいては組織票を減らすことにつながります。地方の1票が重いということは、政策問題を国政全体として議論させにくくしている元凶です。1票の格差を厳密にコントロールするようになれば、都市部が当然沢山代表されるようになります。都市部の議論の方が良識的かどうかはともかくとして、組織票は少ないですから、比較的政策論が争点になる傾向は強まるはずです。比例区が本来そういうことをやってくれればいいのですが、無理です。

【安念】 議員さんの中では二級市民になってしまっていますよね。

【福井】 二級市民でも政策論をやってくれればいいのですが、結局比例区は参議院も衆議院も業界票がないと通りにくい。結局その人は業界代表として振る舞わないと、次に比例で高順位をつけてもらえないので、これも国民代表とは大分違う。国会がきちんと立法をやる集団になってもらうことが課題です。

【安念】 小選挙区については、一度当選してしまうと、あとはものすごく強くなる傾向がある。だとすると、地位は安定するから、どぶ板をしなくてもいいという先生が出る可能性があるとは言えまいかとは思うのですが。実際そうなっているかどうかはかなり疑問だけれども。

【福井】 そういう傾向はあると思います。ただ、それが堅固な基盤を利用したどぶ板のより有力な対抗馬が出ると、また覆るということにもなりかねないので難しいところですよね。
東大の経済学者の井堀先生も言っていますが、年齢別選挙区は非常にいいと思います。これは選挙区回りが容易でない。全国を、年齢別に分けて20歳〜25歳、25歳〜30歳などと3歳刻みでも5歳刻みでもいいのですが、年齢別選挙区をつくる。どぶ板選挙が基本的に不可能になりますし、かつ、社会保障、年金、医療の問題などは世代間の利害対立がそのまま反映されているわけです。これを地域別選挙区議員でやること自体が矛盾している。正確に利害を反映してもらう方がいい。公共事業の問題で、年齢別選挙区の議員がバカな動きをすることはあり得ない。

【渡部】 年齢別選挙区というのは結局、全国区ですね。

【福井】 全国区がよいと思います。立法改善の劇的効果があるはずです。

【和田】 そういう制度を取り入れている国というのはあるのですか。

【福井】 ないです。ないけれども原理的には可能です。

【渡部】 浜崎あゆみかなんかが挙がってしまうんですよ(笑)。

【福井】 それはそれでいいんじゃないですか(笑)。

【安念】 通説によれば、職能選挙区をつくることは憲法上許されるというのですから、年齢別選挙区をつくっても恐らく許されるでしょう。

【福井】 職能よりはるかに健全だと思います。全国民が、必ずどこかにきれいに分類されますから。

【安念】 必ず分類されるし、しかも恣意的な分け方はありませんからね。


●弁護士の勉強不足と裁判官のコスト感覚の欠如
【和田】 先ほどの弁護士の勉強不足という話ですが、行政訴訟では、結局勉強不足で負けているということになるのですか。

【福井】 もちろん。

【和田】 勉強をしていれば勝つような事件も……。

【福井】 あります。

【和田】 それは責任重大ですね。

【福井】 もともと構造的にきついということはあっても、でもやはり行政は後ろめたいことをいっぱいやっています。この傷口に塩を塗れば勝てるのに、というのはあります。

【渡部】 ポイントを突いても駄目だった、いくら優秀でも駄目だったということはあるのではないでしょうか。

【安念】 私たちがやったのは、平たい言い方をすれば、公有地を売る値段が安過ぎると言って差止めを求めたのですが、結論が却下だったから、そこら辺でどんなに頑張っても結局勝てなかった。

【福井】 やはり土俵に乗らないときついですよね。それは住民訴訟ならできたのではないですか。

【安念】 いや、住民訴訟です。

【福井】 何故却下なのですか。

【安念】 まだそんな結論が行政庁内部で出ていないというのです。

【福井】 訴えの成熟性がないということですね。

【安念】 成熟性です。全部決まっているのにね。

【渡部】 契約内容まで決まっているのに(笑)。

【福井】 契約したときにもう1回やれば、本案にのるのではないですか。

【渡部】 でも契約直前なのに、そういうのはしないというのがおかしい。

【福井】 おかしいですね。

【安念】 でも裁判官って本当に、よくも悪くも緻密で気の小さい人が多いから、心の中でのエクスキューズをきちんとつくれるようにしておいてあげるといいのですよね。情報公開なんかそうでしょう?きちんとした情報公開法があるから、情報をどんどん公開させるような判決を出せるのでしょう。

【福井】 裁判官は、手掛かりがあるところは一生懸命やるし、ないところはやはり躊躇します。
また、さっきちょっと違った文脈で、やたら証拠調べを被告にやらせると言いましたが、これも公金なのです。結局納税者が負担しているわけです。仕事だし、どうせ勝たせてもらえるとわかっているから、私も被告としては一生懸命やっていましたが、何億ものオーダーでその種の証拠調べのために、湯水のように金が使われるわけです。
裁判官は気楽です。自分の精神の安定を保った判決を書きたいために、法的判断に必要な範囲を超えて何でも被告にやらせる。アリバイのための公金無駄遣いを、コスト感覚のない裁判官が強要するわけです。
それで、言っては何ですけど、こんな証拠を調べなくてもそちらでけりをつけられるだろうというところで、全部を渉猟網羅させて膨大な証拠を要求する。心証を損ねたらいじめられるから、「はい、わかりました」と言って、別に自分の金ではないから、膨大な金と手間をかけて対応はする。本当はおかしい。裁判官だってやはり国政の一翼を担っているわけだから、けりがつく論点がいくつかあれば、一番安くけりをつける論点で勝負せよ、しなければならない法律論に関わらない「後付けの代替案」、「倫理」、「姿勢」――刑事の量刑なら分かりますが――や、「納得性」のために納税者に無駄を強いてはならないという、公金支出権能を持つ権力主体の一員としての自覚、市民的金銭・時間感覚に乏しい人が無茶苦茶多い。
【安念】 いやぁ、クリアなご議論でした。


●立法政策の基礎は経済学
【和田】 最初にもお話がありましたが、法律による行政というのは、行政法の講義でさんざんたたき込まれていましたけれども、中身をしっかりつくらないと全く意味がない。

【福井】 形式的な理論は効かないですね。行政法学者の議論は、ずれたものが多い。立法が大事だと言うと、「だって俺たちは立法に関与できるわけじゃない。解釈のところでアクロバティックなことをやらないと仕方ないんだ」と言う人たちもいます。これは間違っていると思います。解釈でアクロバティックにやっては、法治国家ではないわけで、立法に携われないというなら、では携わっていい意見がきちんと立法に貫徹されるような仕組みを提言することにウエイトを置くべきだと言うのですが、そこはかみ合わないですね。

【安念】 立法を構想するような訓練というのは、法律学者の大部分は誰も受けていませんからね。

【福井】 だったらなおさら、費用便益感覚・技術もない行政法学者などが大挙して立法場面に出てくると、これまた無茶苦茶なことが起きる。それも怖いものがある。
法律家としての見識ではなくて、例えばミクロ経済学や法と経済学の見識を法実務にあてはめられる、こういう人――安念先生のような方が、もっと立法政策に出てくるのがいいと思います。
解釈論は立法政策には何の役にも立たない。ただ、法が読めるということは、例えばある経済学的な議論を念頭に置いた政策が、どう法に置き直され得るのか、という点で優位があるわけです。でも、根っこのところの初歩的経済学知見ですら、持っている法律家は1%もいないわけですから、ここがやはり問題です。
経済学の基礎は、法律に比べれば習得期間がよほど短くて済むわけで、1年ぐらいは法と経済学や公共経済学を、それこそ行政法なんかやらなくていいから、司法研修所――本来廃止すべきですが――やロースクールでもしっかりたたき込み、司法試験にも必修科目で置いてほしいと思います。

【安念】 法律科目は必修でなくていいから、経済学は必修で置いてくれということですか。

【福井】 そうです。常識的な政策判断ができるための経済学は、知らないと依頼者以外の人々、社会経済に弊害をもたらすのだから、必修たるべきです。依頼者にのみ関わる行政法などは市場での依頼者のニーズにのみ委ねればよく、全く異なります。でも、行政法学界に身を置きながら何を言うんだ、と怒る人がいるわけです。
 このインタビューの後、安念先生はじめとやっている、司法改革フォーラム提言の記者発表を法務省クラブで行いますが、それでは「司法試験での行政法の必修には疑問がある」としています。

【安念】 だけど、憲法、行政法なんかを一緒にして大括りの公法系で出題すると言っているでしょう? 私はそれは、全く正しいと思うのですよ。だけど、実際出題できる人はほとんどいませんね。民法、民訴法で一緒にするのだってそうですよ。

【福井】 憲法訴訟のテクニカルなところが議論できる憲法学者も、安念先生以外は少ないでしょう。

【安念】 いや、そんなことはありませんが、しかしいずれにしても、ある程度の数はいないと、いいものはできないでしょう。でも、結局長い目で見れば、法律学者は役立たずだということが明らかになって私はいいと思うけどな。
それでは、きょうはどうもありがとうございました。
                                    (了)

                      日時・平成14年3月7日(木)
                       午前11時〜12時30分
                      場所・第一東京弁護士会12階 1202号室