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2001/2/20

宛先:内閣府司法制度改革審議会御中 平成13年2月

環境改善のための司法機能の強化

環境行政改革フォーラム有志
(アイウエオ順,*はフォーラム幹事)

青山 貞一 環境総合研究所所長(環境科学)
阿川 琢磨 三重大学大学院生物資源学研究科 後期博士課程
阿部 賢一 土木学会会員
阿部 泰隆 神戸大学大学院法学研究科教授
新井 洋子 高尾山自然保護実行委員会
池田 こみち 環境総合研究所副所長
国際影響評価学会(環境計画)
小倉 正 環境ボランティア
桂木 健次 富山大学経済学部教授
呉羽丘陵健康とゆとりの森整備事業差し止め請求等事件原告
金尾 憲一 相模川キャンプインシンポジウム
川上 豊幸 APECモニターNGOネットワーク(AMネット)
川崎 実 日本ビクタ−(株)環境カウンセラ−
川村 暁雄 神戸女学院大学教員
鬼頭 秀一 東京農工大学農学部教授(環境倫理学)
向達 壮吉 ネットワークしもまるこ「地球村」
佐野 淳也 吉野川を守るJr.の会
鈴木 譲 東京大学大学院農学生命科学研究科教授
清野 聡子 東京大学大学院 総合文化研究科助手
高田 昭彦 成蹊大学文学部教授(社会学)
鷹取 敦 環境総合研究所主任研究員
辻 淳夫 藤前干潟を守る会代表
戸田 清 長崎大学環境科学部助教授(環境社会学)
津谷 裕子 杉並病をなくす会
寺尾 光身 元名古屋工業大学教員
野村 修身 電磁波問題市民研究会・代表
長谷川 憲文 ゴミ問題・ゴミ発電を考える会
原科 幸彦 東京工業大学大学院教授(環境計画)
国際影響評価学会理事
久野 敦司 グローバルブレイン研究所
平松 紘 青山学院大学法学部教授
政野 淳子 ジャーナリスト
松浦 さと子 摂南大学経営情報学部教員
松本 郁子 地球の友ジャパン 開発金融と環境プログラム代表
松本 悟 メコン・ウォッチ事務局長
水田 哲生 立命館大学政策科学研究科博士後期課程
森嶋 伸夫 政策学校[一新塾]
村山 武彦 早稲田大学理工学部複合領域助教授
柳田 由紀子 市民自治井戸端会議代表
山本 茂雄 (有)山本水産 代表取締役社長
吉田 貴子 東京大学生物生産工学研究センター助手
吉田 央 東京農工大学農学部専任講師
米田 頼司 和歌山大学助教授


はじめに

 私たちは、環境行政改革を求めている、民間の任意のグループです。この8年間、環境問題の解決を通じて日本社会を改革していくという旗印のもと、専門家、研究者が地域社会、地域住民、環境NGOと連携し、国、地方また行政、立法を問わず具体的案件にかかわるなかで多様な活動をしてきました。近年においては、公共事業の見直しについても、全国各地で真摯に活動されている住民団体、NGOへの専門的、技術的な支援を展開しています。
 環境破壊が深刻化するとともに、環境を破壊して成り立った「公共事業」の負の側面が明らかになっている今日、われわれの環境を、現世代のみならず、世代間公平のために、環境が持続可能な範囲内での開発行為を考え,またそのために環境を改善するべき時代になっています。
 そこで、最後の砦、頼りになるのが法ですが、実は法がまったくといってよいほど機能しないのです。裁判も頼りにならないのです。「二割司法」という、司法の機能不全を評した言葉がありますが、環境法の分野では、羨ましいという感じさえある言葉です。そこで、まったく無力感に陥りそうになりながら、われわれは頑張ってきました。
 そして、法を機能するように改善しようとしても、法を所管する関係官庁は、環境省も含めて、これに必ずしも積極的ではありません。
 今、頼りになるのは、司法の改革です。司法制度改革のために大変多忙な日々を送っておられる審議会委員の先生方には、恐縮ですが、司法の活性化の一テーマとして、是非環境訴訟の活性化を取り上げてくださることをお願いします。直接には、民事訴訟の機能回復と、行政訴訟の活性化にかかわります。 


一 環境訴訟の機能不全

 環境訴訟は環境行政訴訟と環境民事訴訟に分かれるが、ここではそうした訴訟制度からではなく、事例を中心に、環境訴訟の機能不全を説明する。

1 道路公害の例

 日本の環境行政訴訟は、ドイツやアメリカなどのそれとは異なり、ほとんど死んだも同然である。環境悪化を心配する人は、行政訴訟の原告適格がないとされるのである。たとえば、相当以前に都市計画決定がされていたが、事業が行われないので忘れかけていた都市計画事業が突如認可され、公害道路ができるのではないかと心配するとき、土地所有者にはもちろん原告適格がある。そこで、土地所有者が出訴して勝訴した例はないではない。たとえば日光太郎杉訴訟(東京高裁1973・7・13判決行政事件裁判例集24巻6=7号533頁)は、道路建設事業により切り倒される杉(日光太郎杉)の生えている土地の所有者がその価値を重視せよと主張して訴えたところ、勝訴した事件である。
 しかし、普通には、土地所有者の多くは買収交渉に応じて転居してしまう。残った沿道者が、国道四三号線のような公害道路になっては困ると反対に立ち上がる。しかし、判例(最高裁1999・11・25判決判時1698号66頁)は、道路公害を危惧する住民の原告適格を否定する。
環境影響評価法が1999年に施行され、許認可に際しては「環境への適正な配慮」が求められているが、まず、同法施行前に都市計画決定がなされたものはその後に事業認可がなされても、同法の適用がない(附則3条)とされて、 せっかくの環境影響評価法は無力である上、これから都市計画決定がなされる場合に生じた事件には同法の適用があるが、今の判例の立場では、環境への配慮は公益の問題で、住民の個別具体的な利益を保護していないとして、原告適格を否定される公算が大である。
 さらに前の段階で、土地所有者が都市計画決定による権利制限に不満でも、今の判例は、処分性を認めない(最高裁1987・9・22判決判時1285号2 5頁)ので、争うためにはあえてこれに違反して、処罰と取り壊しを覚悟で建物を建てるという非現実的なことをするしかない。
 もし住民が騒音公害を理由に道路建設の差止め訴訟・差止めの仮処分を提起すると、今度は都市計画事業認可という公権力を阻止するものであるから、民事訴 訟(民事差止め)は許されない(行訴法3、44条)という判断が下される可能性が高い。これでは、抗告訴訟も民事訴訟もともに許されないとされるので、裁 判の拒否であり、違憲(憲法32条違反)である。
 同様のことはすでに、「行政訴訟はともかく」として民事差止め訴訟を却下した大阪空港訴訟最高裁1981年12月16日大法廷判決ですでに起きたことで ある。それ以後も、航空騒音を防止する適切な行政訴訟は見つかっていないのである。
 そこで、道路が供用されると、実際に公害が発生する。周辺住民は長年の訴訟の結果、若干の損害賠償を得ることができるが、そのためにも大変な苦労をする 上、差止めは尼崎公害訴訟(神戸地裁2000・1・31判決判タ1031号91頁判時1726号20頁)で認められたが、結局は大阪高裁の和解勧告で和解した。しかし、その差止めの約束はどこまで守られるかわからない紳士協定が多い。「施策の検討ないし実施に努める」というだけである。「軽油の低硫黄化を達成するよう取り組むとともに、自主的な部分供給が行われるように関係業界に対する働きかけを引き続き行う」、「一層の低公害車・低排出ガス車の販売・使用を促進するしくみを検討する」、「トラック事業者へ迂回輸送の協力要請を行う」、「特殊車両通行許可違反に対する道路法47条の2の適用を厳格に行う」、「大型車の交通規制の可否について、早期の検討結果が出るよう、警察庁に要請する」といったものである。
 原告が和解に応じたのは、これから先、高裁、最高裁と気の遠くなる訴訟活動と時間を思うと、ここで少しでも被害を防止する施策を取ってくれるのならとい う、悲しい希望による。大阪高裁はわずか1回の審理で結審したのに、和解を勧めるというのは本当に裁判を受ける権利を守ろうとしているのだろうか。さっさと認容判決を下して、従わない国の方には、本来なら、過去の被害には相当の賠償金を課し、これからも即時に被害防止をしなければ、間接強制をすべきものなのに。国は被害を無視してきたのであるから、アメリカ流に考えると懲罰的賠償をさせるべき事案である。

2 海浜の埋立

 海浜が埋め立てられるとき、埋立海域の漁民は普通は補償金を得て、争わない。
 住民や周辺の漁民には抗告訴訟の原告適格はない(最高裁1985・12・17判決判時1179号56頁)。地方自治法242条の2に定める住民訴訟を提起すると、審理されるのは財務会計行為の違法に限られ、そうした違法はないとされる。地元の古来慈しんできた環境が一方的に害されても、地元住民は法的には何の権利もない。これが住民の憩いの場でもあれば海の浄化機能をも持っている海浜が不当にも埋め立てられすぎた原因である。有明海の干拓も同様である。和歌山県雑賀崎などでも今問題になっている。
 例外的に漁民が勝訴したケースとしては、大分県の臼杵埋立て訴訟(福岡高裁1973・10・19判決判時638号36頁)があげられる。しかし、これは埋め立てられる海域の漁民が漁業権にもとづいて争った例である。こうした例はまれである。海は漁民だけのものではないはずなのに、今の判例では漁民以外には権利がないとされている。

3 ダム

 川の水がもっぱらダムの水利権のために全部取水されて、越すに越されぬ大井川どころか枯渇してしまい、河川は汚濁し、魚その他の生物も絶滅するか、少なくとも上下流で38度線並に分断されるが、今の判例では、やはり住民にはこれを争う資格がないとされよう。そうすると、電力会社と河川管理者の間だけで、河川の環境を害することができる。
 ダムが環境上重大な問題をはらみ、治水、利水にも寄与しないとわかってきても、補償金により、漁民を沈黙に追い込み、結局は誰も訴訟を提起できないため、環境破壊を拱手傍観するしかない例も起きる。しかし、河川は河川管理者、電力会社、漁民だけのものではないはずである。

4 文化財保護

 文化財の保護は公益のためとして、原告適格が否定されるのは伊場遺跡訴訟(最高裁1989・6・20判決判時1334号201頁、判タ715号84頁)の例にみるところである。動物の保護のためとしても、同様に住民や研究者の利益を保護する規定がないとして原告適格が否定される(アマミノクロウサギ訴訟、鹿児島地判2001・1・22)し、原告適格が仮に肯定されても、動物の生育環境を守るための法律は不備である。しかし、行政が恣意的に環境を破壊するのを監視する法システムがないのは不当である。そして、ここに法律の遵守という課題があるのであるから、司法権に期待されるのである。それは、法律問題にとどまる限り、決して、司法の行政への過大な介入ではない。

5 廃棄物処分場

廃棄物処分場は、東京の日の出処分場にみるように、有害物質の滲出のおそれなどについて厳重に監視する必要がある。しかし、まず、廃掃法に基づく処分場の設置許可について周辺住民が取消訴訟を提起すると、原告適格なしとの判断が予想される。民事の差止め訴訟では、最近は請求認容例も増えているが、受忍限度を超える被害の蓋然性を立証するのは大変な負担である。

6 都市計画

 都市計画で、たとえば、用途地域が住居地域から準工業地域に変更されるような場合も、判例は処分性がないとする(東京高裁1978・4・11判決判時886号12頁)。これで環境が害されても住民は我慢せざるをえない。

7 パチンコ店

 パチンコ店の立地は風営法で規制されている。最高裁は、近隣の診療所が争ったケースでは原告適格を肯定する(1994・6・27判決判時1518号10頁)のに、近隣住民が争うと、原告適格を否定してしまう(1998・12・17判決判時1663号82頁)。


二 環境訴訟活性化の方策

 このように、環境行政訴訟の多くは狭い原告適格、処分性の壁に阻まれる。民事訴訟なら本案に入るが、行政側あるいは加害者側の広い裁量と証拠の秘匿に悩まされる。公権力が絡んでいると、判決の執行も難しい。しかも、行政や加害者企業には金と人がそろっているのに、原告住民の方の負担はきわめて重い。

 そこで、その解決策は基本的に次のようにすべきである。

1 行政訴訟の処分性、原告適格を次のように拡大すること。

 環境影響評価法でいう「環境への適正な配慮」は、単なる公益ではなく、周辺住民の原告適格を根拠づけるものと解釈すべき規定をおくこと。

 環境影響評価法で定めるものに限らず、地域環境に重大な影響を及ぼす行為については、それを抗告訴訟の対象になる処分とするとともに、それによって著しく影響を受ける住民には原告適格を認めること。

 文化財などの公共財を守るために、そのために適切かつ真摯に活動している団体にいわゆる団体訴訟の原告適格を認めること。

 都市計画は事業認可を待たず、権利制限の効果が発生する都市計画決定段階で処分性を認めること。

 このように、処分性と原告適格を拡大すると、公益上の問題を裁判所が取り上げることになり、行政権に過大に介入するとか、裁判所が訴訟の洪水に見舞われるとかいう危惧があるかもしれない。しかし、環境問題の多くは純粋の公益問題ではなく、地域住民の個々の生活にもかかわる私益の集合であるから、住民に争う資格を与えるべきであるし、また、公益上の政策と言えども法治国家の原理上憲法・法律に適合しなければならないのであって、司法審査の対象外になっている現状は、行政を治外法権化する嫌いがある。行政・政治と関係業界などとが癒着して環境を害している現状を改善するには、住民の訴えを契機に裁判所がこれを監視するしかないのである。アメリカで市民環境訴訟が導入され、ドイツ連邦環境法典草案において環境保護団体に環境訴訟の原告適格を与えるいわゆる団体訴訟が制度化されようとしている(一部の州ではすでに実定法化されている)のもそうした考え方に立つものであり、環境問題には住民や裁判所が口出すべからずという現行法の運用は、法制度としてきわめて遅れたものである。またこれにより訴訟が増加しようが、かりに裁判所が訴訟の洪水に見舞われて、これまでの任務を果たせなくなるという心配があるとしても、司法の現在の容量を前提に議論してはならない。司法の果たすべき役割の拡大を前提に司法の容量を増加すべきである。そしてまた、誰でも出訴できる住民訴訟、情報公開訴訟の例をみても、たしかに訴訟数は増加しているが、理由のない訴えの激増、いわゆる濫訴の弊が生じたとは言えない(むしろ、これらの訴訟は行政の浄化という公益目的に寄与している)から、そんな心配は杞憂であり、原告適格、処分性の拡大に消極的になる理由はない。


2 被告行政庁には、処分の理由と根拠を自ら積極的に説明する義務を課すこと。

 行政庁は、私人と異なって、法治主義の原則に従って任務を遂行しているのであるから、そのしたことを自ら積極的に証拠に基づいて説明する責任を負うとするべきであり、また、それは容易なことである。そうして初めて、原告側も手探り状態の訴訟から解放され、ある程度対等に争うことができるのである。


3 行政訴訟と民事訴訟のいずれも許容されないという、前記の大阪空港訴訟最高裁大法廷判決のようなキャッチボールによる裁判の拒否が生じないようにし、かつ、このいずれの救済手段を講ずべきかを明確にすること。


4 民事訴訟でも、同様に、環境を害する可能性があると指摘された者は、受忍限度を超える被害を及ぼさない責任に基づき、この責任を果たしていることを自ら積極的に証拠を提出して説明する義務を負うこととすること。


5 道路、空港などの公共施設の差止め訴訟の判例においては、公共性を考慮して差止めに躊躇する傾向があるが、これも、公共性を考慮せずに差止めを認める制度をおくこと。そうしても、被告側が公害防止措置(防音工事、激甚地における移転補償の提案など)を講ずることによって差止めを回避できるので、公共性が害されるのではないかという心配は当たっていない。そしてまた、公害防止措置を講じさせるため、間接強制制度を実効的なものとすること。


6 環境問題を争う訴訟においては、その公共的意義を認め、訴状に添付する印紙代は、原告が何人いても、全部で一人扱いで、かつ訴額算定不能扱いとするこ と。


7 敗訴者費用負担制度の導入が提案されているが、絶対反対である。それは環境訴訟に死刑を言い渡すようなものである。環境訴訟の多くは自分だけの利害関係ではなく、将来の世代まで含めて他人のために頑張っている。また、行政の情報非公開の中で手探りで訴訟を遂行している。行政がまったく相手にしてくれないので、最後には「まだ裁判所がある」とやっと訴えているものである。結果として勝訴にはならなくても、訴訟により情報を開示させ、当局に方針の変更を迫ることが少なくない。敗訴したという結果だけで評価されるのは不当である。敗訴したら相手の弁護士費用まで負担させられたのでは、弁護士に手弁当で依頼することによりやっと成り立っている今の訴訟も壊滅する。

 むしろあるべきは、前述のように被告(行政庁、環境破壊者側)が、自分の行動を説明し、証拠を素直に全部提出する義務を課す制度を導入して、当事者の対等性を確保することである。それが訴訟前に行われれば、訴訟の成否を十分に検討したうえで出訴するので、明らかに敗訴したら、弁護士費用を負担させられてもやむをえないかもしれないが、まずはこうした制度を導入することが先決問題である。


三 具体的な戦略

行政事件訴訟法の処分性、原告適格を拡大し、民事訴訟法の立証責任、証拠提出責任を当事者対等性を確保する観点から強化すべきである。行政事件訴訟法の改正についてはこの審議会で決着をつけられないとしても、訴訟の活性化の視点から、これら重点項目の早期実現を提言し、改革のために具体的な道筋(次の会議、時期)などを明示すべきである。

以上   


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