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週刊金曜日 2001年11月9日号

「住民訴訟」制度が機能不全に

中村洋平
ジャーナリスト

●総務省の改悪案が成立の恐れ

 不正腐敗をした知事、市長などに直接、賠償請求できる「住民訴訟」制度は、腐敗を抑止するうえで市民側最後の砦であり゛武器゛でもある。それが政府によって根底から骨抜きにされようとしている。



 「官製談合」や「公有地の高値買い、安値売り」などにより、自治体に何億円という多大な損害を与えたような首長や幹部に対し、住民が「自治体の被った損害金を自治体に返しなさい」と、首長など個人を被告にして訴えることを保証しているのが「住民訴訟」制度である。これは、「知事であろうと市長であろうと不正をしたら個人的に訴えられるぞ」ということで、結果的に首長らの不正腐敗を防ぐうえで絶大な抑止力をもっている。

 地方自治体の健全運営、民主化に欠かせないこの制度が総務省によって大骨を抜かれ、機能不全に陥ろうとしている。この制度を規定する「地方自治法」の改悪が国会に提案中だ。田中康夫・長野県知事だけが唯一、明確に反対を表明しているが、反対が盛り上がらなければ成立しそうな危機的状況にある。


●首長の腐敗を加速し、談合企業を無罪放免

 改悪案の柱は@住民が、自治体に損害を与えた首長個人や談合企業を被告にして賠償請求できたのを、一律、被告を「行政機関の長としての首長」と改める。(実質的に「自治体」を被告にし、個人などを提訴できなくする)=第1弾訴訟=

 A住民が自治体に勝訴すると、今度は、代表監査委員が「個人としての首長」に支払いを求めるが、応じない場合、賠償請求の訴訟を起こす(不正を働いたのが幹部の場合は、首長が幹部個人を訴える)=第2弾訴訟=。そこで判決が確定してはじめて賠償が得られる。3審制なので理論的には最大6回の訴訟が必要、という例を見ない複雑怪奇な仕組みにしている。

 この改悪案は首相の諮問機関「第26次地方制度調査会」の答申に基づくが、審議は同会の専門小委で非公開で実施されただけ。住民側や学会などの意見は全く聴いていない。被告になる全国市長会などは10年以上前から「改正」要望を出していた。

 改悪の理由を列挙すると、@住民側の勝訴率は7%弱にすぎず乱訴の傾向があるA長や職員は、裁判に伴う各種責任を個人として担わざるをえないB自治体職員が過度に慎重になり、事勿れ主義などで公務能率低下、積極的な施策展開を行うことが困難になりうるーなど。

 総務省の資料によると、94−98年度の住民訴訟の提訴数は878件、確定は584件。原告勝訴は37件(6.3%)。和解で終了19件(3.3%)。和解で取り下げ20件(3.4%)。勝訴しなくとも、提訴することや和解で行政が自主的に違法行為を改善したり、改善を約束することがよくある。それで訴訟目的が達成されたともいえる。住民の訴えは、自治体の被った被害を自治体に返還させる、いわば、無償の奉仕行為である。勝訴と和解を合計すると約13%に達する。これを乱訴というのは強弁である。


● 加害者と被害者が同居

 「各種責任を個人として担わざるをえない」つまり重荷である、という主張は多くの問題点を含む。

 改悪案により、被告を自治体にすると、どうなるかー資料作成、弁護士費用はすべて自治体負担、つまり、税金である。個人的な手間も腹も痛まない。最高裁まで争うケースも頻発しそうだ。一方、原告の住民側は、いわば奉仕活動。手間と経費はすべて手弁当、持ち出しだ。圧倒的に不利、訴訟を起こすのが不可能になることも予想される(これが改悪の究極の狙いともいえる)。現行制度では、談合に加わった企業も被告にできるが、それも出来なくなり、゛無罪放免゛である。

 さらに致命的ともいえる大きな問題が横たわる。官製談合を例にとると、現行制度では被害者は自治体、加害者つまり被告は自治体の首長など幹部と談合参加企業、という構図である。当然、自治体と自治体幹部とは対立関係だ。ところが改悪では、被害者の自治体が被告になるので、加害者である自治体の首長や幹部を抱え込み、一心同体となって住民と争う矛盾した形になる。たとえは悪いが、泥棒と被害者が同居するようなものである。首長や幹部は自治体内部では権力者である。裁判で、その権力者に都合悪い資料を自治体側が出すとは思えない。提出するのは幹部に都合のいいものばかり、逆に証拠隠滅もありうる。エイズ関連の資料を隠していた厚生省の例が思い起こされる。

 さらに、現在でも、訴えられた職員が勝訴すると、裁判費用は議会の議決を経て自治体が補填する仕組みが既に存在する。市民オンブズマン・大川隆司弁護士によると、94−98年度の5年間に、首長が被告になった住民訴訟について、「自治体も補助参加することを裁判所に申請して認められたのは、207件中、驚くことに204件ある」。補助参加すると、首長の弁護士はほとんど自治体と同じ弁護士となり、資料作成など裁判のすべてを公費で受け持つ。なんのことはない、実態は現状でも総務省が喧伝するような重荷ではないのである。さらに勝訴後、先の補填制度により、首長の弁護士費用が支出されると二重取りになるともいえる。

 また、住民訴訟の件数は年間、約250件。都道府県や政令指定都市は年に平均1件。その他の自治体は、平均10年に1件である。住民から訴訟を起こされることは「自浄作用を促し、行政能力を高める」という指摘もある。


●監査請求が不可能に?

 もし、改悪案が成立すると大問題が出てくる。代表監査委員のなり手がいなければ第2弾は提訴できない。代表監査委員は首長の任命で通常、盟友がなる。いざ訴追する段になって辞任することも十分ありうる。盟友の首長を提訴したくないのは人情だ。後任も候補者が次々と辞退すると、(嫌がらせを恐れて後任者がいない)千葉県土地収用委員会と同じ事態になり、いつまでも訴追できない。監査委員は命令で就任されられない。改悪では、訴追期限や訴追しない場合の罰則規定もないのである。 この影響は甚大だ。地方自治法はまず、違法な公金支出について監査請求することを義務付けている。監査請求に不服な場合にはじめて「住民訴訟」を起こせる。委員不在なら監査そのものが不可能。その結果、住民訴訟の提起もできなくなる。一連の制度が崩壊するのである。


● 印紙代は8200円

 ところで住民訴訟を起こす際、原告住民が貼る印紙代(訴訟費用)は、請求額が何億、何十億円であろうとも一律8200円である。なぜかーー最高裁判決は「原告は自己の利益や自治体そのものの利益のためでなく、専ら原告を含む住民全体の利益のため、いわば、公益代表者として地方財務行政の適正化を主張する」ので、「価格算出の根拠を見出すのは困難」として一律8200円に統一した。住民が金銭的に苦労せず高額の請求訴訟を出せるよう保証したのである。また、住民訴訟の性格は「地方公共団体の理事者や職員の腐敗行為を防止するため設けられた住民の直接参政の一方式」と規定している。総務省は噛み締めるべきである。


● 腐敗がますます加速

 以上、改悪する必要性はどこにもない。東京地裁は10月17日、公正取引委員会の集めた談合記録を住民訴訟の原告住民に出すことを認める画期的な判決を出した。この情報公開の流れは止められない。公共事業の談合がいかにはびこり、提訴による政治的、社会的打撃に怯える予備軍がいかに多数いるか、ということであろう。改悪は、このやましい人たちを救済放免するのが主な狙いとみなすべきであろう。田中知事が喝破したように市民のためでなく「一部の利害関係者を守るため」の改悪である。『自治体首長の腐敗不正増進増殖、並びに、談合企業の無罪放免法』に他ならない。改悪が成立すれば日本はますます腐る。政府がそれをやろうとしているのである。

(本誌357号、3月30日号も参照してください)なかむらようへい・ジャーナリスト


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